02-tenohira ni taiyou wo-紺と白で模様の描かれた二つのカップの中身がちょうど飲み干された頃、まるでそれを見計らうかのように客人は訪れた。 「よぉ、和己。今日も生きのびてっかー?」 間延びした声に続いて入ってきた一人の男。 その後にもう一人、黒髪短髪の少年も扉をくぐる。 「慎吾、迅。悪いな、わざわざ来てもらって」 「ま、仕事だしな」 慎吾と呼ばれた男はそう言って、慣れた様子で入口近くに置かれたソファに腰掛ける。 廃品から作り直したソファは硬かったが、上質のマットレスなどよほどの高級品なのでこれは普通のことだった。 「コンチワ、和さん、準さん。……って、あれ? なんだかよさそうなの、見つけたんですね?」 慎吾のように図々しく腰を下ろすこともできず、扉をくぐった後居心地悪そうにしていた迅は、台に置かれたエンジンを興味深そうに見つめていた。 身を乗り出す迅を横で笑って、慎吾はそっとその背中を台のほうへ押しやった。 「旧時代のバイクのエンジンだよ。初めてか? ベンキョーしてこい、俺らの職業、知識が幾つあっても足りねぇからよ」 慎吾と迅の生業は情報屋。 とはいっても迅の方はまだチルドレングループを出たばかりで、あまりそれらしくない。 一人で十分仕事をこなせるはずの慎吾が、迅と組んだ理由はただ一つ。 迅が俊足を誇る超越種だったからに他ならない。 持続時間こそ数十秒ではあったが、彼は幼少の頃からその抜きんでた力で有名だった。 何件ものスカウトから慎吾のもとを選んだのはこの仕事が一番『面白そうだった』からだという。 「じゃあ、えっと。見せてもらってもいいですか?」 「ああ、ついさっき準太が持ち帰ったばかりだから、まだ汚れたままだけどいいか?」 手招きする和己に「はい!」と嬉しそうに返事をして迅が駆け寄る。 そのまま部品の解説を始めてしまった和己から離れ、準太は飲み終えたカップを片付けようとそれに手を伸ばす。 「お宝手に入れた代償か? 準太」 「え?」 「これこれ」と慎吾は自分の右手を指さし、準太に目くばせる。 どうやら、先程和己に手当てしてもらった怪我のことを言っているらしい。 驚いて視線を落とすと、袖口からわずかに包帯が見え隠れしていた。 一瞬でそこまで観察できるのは有能の証であり、「さすが慎吾さん」と思いつつ、準太は苦笑いする。 「もう慣れたつもりだったんですけど。今でもたまに失敗するんスよ。ホント、厄介です」 「欠落種――足りない者、か。ははっ、よく言ったもんだよな」 その言葉が使われ始めたのは一体どれほど前からだったか……。少なくとも、準太や慎吾が生まれ落ちたとき『それら』は普通に存在していた。 今では全体の約三割が足りない者、或いは過分な者と呼ばれる異能だ。 そしてそれらは最早一つの個性として世界に根付いた。 欠落種、超越種との言葉はすでに旧時代で表現される差別の意識には当てはめられず、ただカテゴライズのために作られた単語である。 だからこそ、たった今、慎吾が言葉に込めた通り、呟かれるそれはただ静かで平静で、嫉妬や羨望、憐憫の色は何一つ纏われてはいないのだ。 「でもまあ、お前の場合は使いようのある不足で良かったじゃねぇか。視覚的欠落種になんてなった日には、生き延びることすらできやしねぇ」 「そうですね。運は良かったんじゃないですかね。おかげでこうしてたまには茶くらい飲める生活ができるし」 二人がニヤリと視線を合わせたところで、臨時講座を終えたらしい和己達が二人のもとへやってきた。 初めて見たエンジンに迅はすっかり魅了されているのか、いまだ興奮した様子で、名残り押しそうに背後の金属から目を離す。 「で、ご依頼は? プロフェッサー和己?」 「茶化すなよ、慎吾。勉強させたいってのはお前のリクエストだろ」 「へいへい」 肩をすくめた慎吾の前に、ばさりと、大きな紙が広げられた。 それはこの町一帯を網羅する地図。だいぶ昔に、やはり和己が慎吾に依頼し、調べて作らせたものだ。 「……この辺りの情勢が、知りたい」 和己と準太のこの仕事場から北へ三キロ余りの地点を指さし、和己は口元を引き締めた。 それは他の三人も同じ。 「厄介なこと、押しつけやがる。この場所、今色々ときな臭ぇんだぜ?」 「だからこそ、だ。下手に巻き込まれて仕事がやりにくくなるのはごめんだが、あいにくこの地点は俺たちにとって宝の宝庫だからな」 海岸沿いに位置するその場所は、旧時代に工場地帯だった場所であり、確かに解体屋を営む二人にとって魅力的な場所でもあった。 今、主に縄張りにしている西山の投棄場の掃除が終われば、と目をつけていた場所だ。 なんでもない、ただの廃墟地帯のひとつ。 だが、それがここ数か月のうちに一転したのだ。 中心にいると思われる、一人の男の手によって……。 「ハルナ、だったか」 「確かなことはまだ分からない。今のところはそう珍しくのない『イロモノ』だけどな。 なんにせよ、これだけ近いんだ。用心に越したことないだろ?」 「わあったよ。でも高いぜ? 大丈夫なの、お前」 「断る口実を潰して残念だけどな、今日準太が大物を持ち帰ってくれたから、お釣りがくる」 はあ、という慎吾のため息とともに話はまとまった。 「じゃ、近いうちに報告する。……迅、やっとお前の力、実戦で必要になったわ」 「はい、頑張ります」 そう言い残し、二人は漆黒の闇が支配する外界へと再び身を投じようとする。 そして去り際、思い出したように慎吾は振り返った。 「そーいや、前チン、今度子供作るんだってよ」 「……もうそんな時期か。生まれたらお祝いだな」 「ああ、じゃあな」 「前チンもいよいよ父親か。まあ、子供に名前呼ばれるくらいまで頑張れたら、うれしいよな」 慎吾と迅の背中を見送って、和己がポツリと呟く。 汚染されたこの世界では、人の寿命は旧時代の足元にも及ばない。 早ければ二十代半ばで皆、命を終える。 当然に十代で子孫を残していくことになり、それでも孤児は毎日のように生まれるのだ。 だからこそ、『チルドレングループ』と呼ばれる孤児の集合体があり、彼らは助け合って生きていく。 大概独り立ちする卒業間近の年長者が、赤子や幼子の面倒を見るのだ。 和己も準太も、物心つくころにはこの集合体で育っていた。 特に和己と慎吾は同じグループの同期で、独り立ちしてからもこうして持ちつ持たれつの関係だ。 「和さんもそろそろ見つけないと。まあ俺もですけど」 「はは、ホントにな。でも前チンに先越されるとは思わなかった」 迅にいじられたエンジンをばさりと大きな布で覆い隠して、和己はテーブル向こうの椅子に座りなおす。 「あれ、帰らないんですか?」 「この歯車磨くの、山ちゃんに大急ぎで、って頼まれてたんだ。終わらせてからにするよ」 「そうですか。手伝います?」 「いや、のこりはこれ一つだし、大丈夫だ。先帰っていいぞ」 作業用の拡大レンズを装着して、手元に視線を落とした和己はもう職人の顔つきになっていた。 技術ではどうしても和己に劣る自分がこれ以上いても足手まといだと感じて、準太は「じゃあ」と一人部屋を出ることにした。 時刻はもう、夜明けに近い。 かすかに闇が薄くなった空は、なんとなく怪しい天気を予感させた。 ねぐらに帰るなら急いだ方がいいと判断して、準太は和己に別れを告げて闇に飛び出す。 作業に集中しているのか、和己からの返事はなかった。 *** 準太が和己と別れてから間もなく、さざ波のように規則正しい音を立て、悪魔の雫は降ってきた。 (くっそ、ねぐらまでまだだいぶあるんだぞ。なんでこんな早く……) 有害物質を多く含んだ酸の雨。 立ち止まってどこかで雨宿りするべきか悩んで、結局準太は足を急がせた。 比較的低い建物の廃墟が立ち並ぶ下町通りを抜ければ、近道になるはず。 普段は治安の悪いその場所も、こう雨が降っているならば誰も出歩かないだろう。 そう決めてビルの谷間へと体を滑らせ、方向を変える。 そしてこの判断は思いもよらない拾い物へと通じる道へ、準太を導くのだった。 闇は群青に。 群青は白い霞を伴って、やがて鉛色の暁を迎える。 朝一番のその明るさの中、飛び込んできたのは、とうにこの世界が失った太陽の色だった。 「な……ん、だ?」 視界の端、一瞬映った物珍しい色が信じられなくて、準太は思わず足を止める。 立ち枯れたかすかな草木に隠れるように、古い朽ちたレンガが懸命に支えるように、『それ』はあった。 ザァザァと耳に響くのは、激しさを増した悪魔の使い達の叫び声。 分厚いマントの色がすすけたベージュからモカへ変わってゆくのにも気づかず、準太は立ち尽くした。 横たわる一人の人影。 幻と消えた太陽の光の色をした髪を持つ、少年――。 |