01-tenohira ni taiyou wo-廻る廻る廃墟の街。 巡る巡る夜の世界。 踊る踊る酸の雨。 詠わないカナリヤが哀しく強く鳴く世界で。 荒廃した町並、スモッグと分厚い大気によって常に薄暗く肌寒い街。 増加した窒素と炭素によって酸素濃度は低く、激減した食料を人々は奪い合って生きていた。 汚染された地上は見捨てられた土地となり、多くの人類は地下へと逃げ延びる。 『現在』は、地下に人々が移り住んだことすら忘れ去られるほどの時が過ぎた、ある時代。 地下は確かに繁栄していた。 そして地上では、過酷な環境をしぶとく生きぬいた人類に世代ごと、徐々に変異が起きてゆく。 足りない者(欠落種)と、過分な者(超越種)の出現である。 分不相応なこの変異は、密やかにこの世界唯一の秩序である平等と均衡を、少しずつ侵し始めていた。 *** 遙か昔に、世界は太陽と月の鮮やかな光の色を失った。 幾年月を重ねてなお、戻らないその色は夕闇をくすんだ紫の色へと変貌させる。 黒い影の廃墟の街。 必死に駆ける少年を覆い隠すように、その色は濃さを増し、やがて影と同化するそこに一鳴の悲鳴が木霊した。 「いい加減、追いかけっこも疲れたんだけど。もうよせよ、こんな世界だ。諦めるのも肝心だろ」 「誰が……っ!」 影と影がぶつかり、離れ。 そして轟音と土埃ののち、再び毎夜の静寂が辺りを包み込んだのだった――。 *** 黒いカラスの濡れた羽の色をした大気を、人影が切り裂く。 ぼろ布みたいな廃墟のビル群を、飛び越えるようにして走っていく。 獣の尾を思わせながら後方にたなびくのは、すす汚れた分厚いマントだ。 光エネルギーを失ったこの世界で、暖をとれる数少ない資源。 どれだけ汚れていようとも、現在主流の合成繊維は足元にも及ばない保温性。旧文明の技術で織られたこの布は貴重であった。 足元を照らす小さなライトを人影が持ち替えた。 かすかに伺える横顔は、するりと、あくのない顔つきだった。 右手に大事そうに抱えるのは、なにかの金属。 そうとうの重量があるだろうに、人影は重さをまるで感じないようにビルの最上部を渡り駆ける。 「……掘り出しもんだ。和さん、喜ぶだろーなー」 吐息のように漏れた声と、緩む頬。あくのない顔つきから、無邪気な子供の顔に変わる。 やがて見えてきた、ひとつの光。 崩れかかったビルの合間にある、二階建ての小さな建屋に人影はするりとその身を滑り込ませると、被っていたマントのフードをもどかしそうに下ろした。 「和さん、見て下さい。今日のはスゲーっすよ」 こじんまりとした部屋の奥には大きなテーブルがあり、その上は様々な金属と小さな部品、そして幾つかの鉱物で埋め尽くされている。 さらに、左右には山のように積まれた書物の数々。 声を掛けられた人物は、その山の向こうからひょっこりと顔を出し、朗らかな笑顔で出迎えた。 「お帰り、準太。……って、おいそれ!」 「っす! そーなんですよ、西の山の方探ってたら、コレ」 手元の小さな歯車を放り出す勢いで立ち上がった人物――和己は、そのまま準太の持ってきた四角いものへ釘付けになる。 「コレ、エンジンじゃないかと思って。旧時代のお宝ですよ」 「……間違いない。さっそくバラして洗浄しよう。まさかこんな大物がまだ残ってるなんてな」 「オレもまさかと思ったんですけど」 「すごいじゃないか準太、さすがだな」 油の擦れた作業用手袋越しに、ばんばんと叩かれる背中。 心底嬉しそうな和己の様子に、彼を敬愛している準太の心も軽くなる。 チルドレンのグループを卒業して、細々と解体屋を営んで生活する二人にとっては本当に掘り出し物だ。 「でもこの大きさじゃ今夜中には難しいかな。このあと慎吾たちも来る事になってるから」 「あれ、そーなんですか。じゃあ明日にでも」 窓枠近くの台へ置かれたエンジンを前に、和己はそれとなく準太の横顔を覗き込んだ。 これだけ密度の濃い金属の塊を、準太は何の苦もなく運んでくる。 それも不安定なビル群の最上階を軽く跳び駆けながら。 人並みはずれたこの技も、彼が重さを感じない人間だから出来ることだ。 重さ、だけではない。 熱さや冷たさ。痛みすら。皮膚感覚(触覚)の欠如。 そう彼は――欠落種だった。 「……準太、腕を見せてみろ」 「え、あ、はい」 喜びの声が急に遠くなって、準太は驚く。 けれど、和己の視線の先に「ああ、またやってしまった」と納得し、求められた右腕のそでを仕方なく捲り上げた。 「消毒だ」 ふぅ、と軽いため息。 肘を中心に、擦れた赤い蛇のような傷跡がはれ上がっていた。おそらく、このエンジンを運ぶ際についた傷だろう。 重さを感じない自分はこうしてよく和己の世話になる。 痛みも感じないのだから、毎回仕事場に戻ってきた際によく見回してケガがないか確認することになっている。 怪我をした自分を見るたびに和己は辛そうな、悲しそうな顔をする。 迷惑をかけているのが心苦しくて、その昔、準太は一度傷を隠したことがある。 和己はそれを知ってことさら激怒した。 そうして準太は、『痛覚』が生き物にとってどれだけ大事かを彼に教え込まれたのだ。 そしてそれを持たない自分の体が、どれだけ諸刃の剣であるのかということも。 気をつけることは山ほどあった。 他者の当たり前が自分には平等に与えられたものではなかったから。 寒さを感じないため、冬のある日には凍死しかけた。 せっかくの熱いスープは、準太にとって体を温めるためのものではなく、舌を火傷させるものに過ぎなかった。 触覚のコントロールがきかず、幼い頃は他者に触れば強く握りすぎて怪我をさせ、また、カップを壊して自分の指が血を流す事もあった。 それでも、恩恵がまったくないわけではない。 今回のように、一人では到底運びきれないお宝を、こうして誰かに横取りされず速やかに持ち帰ることも出来る。 巷で言うところの『火事場の馬鹿力』が常にだせるおかげで、加減さえ覚えれば身体能力だって平均のそれを超えられる。 ――相棒、和己の役に立てる。 「よし。2・3日はあんまり動かすなよ。悪化したらどうしようもない」 貴重な白い清潔な布で覆われた腕をしまって、準太は「はい」と頷いた。 まともな治療など出来ないことは、この世界の住人なら誰でも知っているから。 大事な誰かが病やケガで倒れ死に向かっても、それを受け入れる事しか出来ないのは幼い頃からもう何度も体験してきた事。 「……慎吾たちが来るまで、何か飲むか」 「あれ、豪勢ですね。お茶なんてあるんですか?」 「奮発だ。お前の土産が思いもしない大物だったしな。祝っとこう」 テーブル裏の、わずかな生活用品が入った棚を開けながら和己が笑う。 麻布にわずかに残っていた茶葉をポットに突っ込んで、足の欠けた椅子に二人で肩を並べた。 「……掘り出し物に、感謝の乾杯を!」 真夜中間近の、ささやかな宴だった。 |