03-tenohira ni taiyou wo-


どしゃっと濡れた音を立て人影が二人、狭いユニットバスへ雪崩れ込んだ。
肩に担いでいた少年をタイルの上に降ろし、準太は面倒くさそうに眉を歪める。

(結局連れてきちまった。こいつ、ちっとも起きねぇし――)

路地裏でこの人物を見つけた時、てっきり死んでいるのかと思った。
白い顔も手も、まるで血の気がなかったしぴくりとも動かなかったから。
けれど、いぶかしんでよく見れば僅かに胸元が上下していて、生きている事を確認できた。
そして、叩いても声を掛けても反応がなかったこの人物を、仕方なく肩に担いで自分のねぐらに戻ってきた。

最悪だった。
ただでさえ『触っている』感覚がほとんどない自分がこんな生き物を担いでいくなんて。
バランスの軸がぶれる。時間のロスで有害な雨は長く浴びなければならない。
命を持たない『物』を運ぶ時には気遣わなくていいことが、準太には難しかったから。

けれど、それでも運んできたのは倒れこんでいたこの人物がとても珍しかったから。
光の色の髪。死んでいるかと疑うほどに透ける肌の色。
ユニットバスの壁に支えられている体は自分よりひょろ高く、けれど幼さの残る顔立ちが年下を思わせた。
(色素の欠落種――ってんなら、もっと髪は白いだろ?)
疑問を感じつつ、準太はシャワーのコックをひねる。
感覚はないけれど、知識が知らせる。多分自分やこいつの体は『冷えて』いるんだろう。
少しでもお湯が出ればいいと思っていたが、備え付けの水温器は一向に温度の上昇を表さない。
貴重な真水をいつまでも垂れ流しているわけにもいかず、準太はひとつ大きなため息をついて正面の窓を開けた。

ガン、ガンッ!

窓の外にあるもうほとんど役に立たない給湯器を叩く。
そこでようやく、乾いた悲鳴のような音を立ててモーターが廻ったようだった。
「……ぬるま湯でもいいか」
ようやく人の体温ほどの温度まで針が回ったのを見計らい、緩く流れるお湯はその場の二人にあてられる。
数分もしないうち、足元に崩れたままの少年の頬には、少しだけ赤みが戻ってきた。
「おい。おい、テメー、起きろっての」
ベシベシと乱暴に頬やら頭やらを叩くが、やはり意識が戻らない。
舌打ちながら、準太は濡れた衣服を脱がしてやった。
ついで、怪我がないのか観察する。
腰元には打ち身らしき掌ほどの内出血、左足首が多少赤く腫れているから捻挫だろうか。
「……? 手形、か?」
右手首を掴まれたようにぐるりと周回する人の手指の形。
うっ血しているようにも見えるそれは、『やっかいごと』を予想させ準太の気分をさらに萎えさせた。
「まあいいや。目ェ覚めたら適当に追い返せば」
そもそも、あの場に残してきても、誰に咎められることでもなかった。
自分もすっかり水分を吸って色の変わった布きれを体から落として、準太は思う。

本当に、何故連れてきてしまったのだろうか……、と。



***



部屋の片隅でかすかに物音がしたことに、準太は目ざとく反応した。
あれから数時間ほどしか眠っていないのにそう反応できたのは、精神が緊張していて眠気がすぐに吹き飛んだからだ。
身元不明の厄介者が、同じ場所に寝かされているとなればそれも当然のこと。
そして音がしたのは、間違いなくあの人物を寝転がした、部屋の片隅だったから。
「……やっと起きやがった」
夜は完全に明けている時間だったが、一年を通して空を覆う鉛色の雲と、窓にかかるカーテンのために部屋はかなり暗かった。
その暗闇の中、半身を起こす確かに人影。
目が慣れるまでの間、同じように身を起こして準太はじっとその方向を見つめ、そして立ち上がるとそこへ近づいた。
「雨だったから、一応連れてきたけどな。目ェ覚めたんなら自分のねぐら戻ってくれ。足、駄目そうなら医者呼ぶけど?
つか、お前どこのグループ出身だよ。あの服、何? 随分イイモン着てたじゃねぇか」
一気にまくし立てたところで、ようやく目がなれた。
返事がない。
不審に思いつつもう一歩前に進み出た準太の目に映ったのは、自分とはまったく異なる、不思議な瞳の色だった。
(……ますますワケわかんねぇんだけど。こいつ、何?)
足元がぞわぞわする。
寒ければ困るだろうと何重にも巻いておいた布団を、手形のついた右手でぎゅっと掴んでこちらを見上げる人物。
不思議な瞳はただじっと、準太を見つめる。

「なんか答えろよ。足は痛ぇの? 痛くねぇの? 名前は?」
とりあえず、敵意はないらしい。
語尾をゆるめつつなんだか本当に変な拾い物をしたなと、準太は思う。
「…………」
ゆっくりと、少年の口が動いた。
だが、声が聞こえない。
かすかな喉から漏れる空気音がその場に流れるだけだ。
「おい、喋れねぇのかよ!」
頭に手をやって、準太は何度か首を振る。
少年は、必死に何かを伝えようとしているが準太にはさっぱり分からなかった。
そんな時、少年は横にあるテーブルに何かを見つけ、そっとそれを手に取った。

――【利央】

掴んだのは茶焦げた再生紙とペン。
たった二文字示して遠慮がちにそっとそれを準太に差し出すが、準太は首を振る。
「いや、俺数字以外の文字なんてわかんねぇよ。お前、ホントなんだっつーの」
書き文字なんて、医者か薬師かそれとも学者か職人。
余程の専門家でもなければ、この世界では使われない。

それを聞いた目の前の人物の不思議な色をした瞳は揺れて、しゅんと背が丸まってしまった。
「あー、待てよ。和さんならもしかして?」
準太の声がワントーン明るくなる。
そしてその言葉の意味を悟ったのか、少年もまた、柔らかく頬を緩めたのだった。

「……こっちの言葉は分かるんだろ。足、痛ぇ?」
腫れた左足首を指差せば、遠慮がちに頷く。
ふーん、と生返事をして、準太はそう広くも無い部屋の入り口へ向かう。
「文字分かる人連れてくっから。服はその辺の着て、ちょっと待ってろ」
背後の古びたクローゼットを指し示し、準太はそのまま背を向ける。
少年がきょとんとしながら頷いたその時には、もうすでに準太の体は建物の屋上付近へ舞い上がっていた。



――ひらり黒髪が風にゆれた外の世界では、雨雲は彼方へ消えていた。





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