-taikobashi-


ほんのりと温かさを纏った風が、春を謳歌していた。
太陽の包容に優しく出迎えられながら、制服の胸に花を飾った生徒達が玄関前の花道を進んでゆく。
3月2日、卒業式。
上擦った心を支配するのは未来への希望と期待。そしてわずかな切なさ。
利央の目の前を通る1人の3年が、ふいに涙を零した。
それを支えるように、後ろの男子生徒が肩を抱く。
そんな様子に、思わず利央ももらい泣きしていた。多分、この後自分はもっと泣くだろう。
長い長い、自分の人生の半分以上を共に過ごしてきたあの人が、もうすぐここを通るから。

「……なんだ、お前。もう泣いてんのかよ」
ふいに背後から歩み寄ってきた人物が、利央の顔を覗き込んでそう呟く。
けれど、そういう彼の目元も情けなく歪んでいた。
「だって、もうすぐ和さん通るんだもん」
ずび、と鼻をすする利央の横で、その名前を聞いた準太も俯いて目頭を押さえる。
中学の卒業式とは雰囲気も表情も、周りの落ち着きの無さも何もかもが違っていた。
持ち上がりではない。
若い自分たちが恐らく始めて経験する本格的な別れだ。
どちらからも何も言葉が出ないまま数分が過ぎた頃、玄関を凝視する2人の胸がきゅうっと締まった。
「かず、さん」
同時にその名前を口の中だけで呟く。
卒業証書の収められた筒を肩に遊ばせ、数人の友人を連れてやってきた和己はそっと2人の前で止まった。
「準太、利央」
名前を呼ばれるその声が、鐘のように2人の耳に響いた。
失いたくない、離れていって欲しくない。
そんな気持ちがあふれ出て、利央が我慢できずに和己の制服をぎゅっと掴んだ。
「かず、さんっ!」
みっともないほど声が震えている。
搾り出すようにしたその声の意図が痛いほど分かるから、和己も困ったように微笑む。
「……長期休みには帰ってくるぞ」
「かずさんっ……!!」
ぐずる利央の頭を優しく撫でながら、和己の視線は正面で唇を噛み締める準太へと移る。
「準太」
「……は、い」
「甲子園、行けよな。……利央とのバッテリー、期待してる」
噛み締めただけでは、嗚咽が抑えられない。
制服の袖で流れてしまった涙を押さえ、準太は大きく頷いた。
その姿に安心したように、和己もとびきりの笑顔を見せる。
数ヶ月前、部に安心感をもたらせていたあの偉大な笑顔だ。
「頼んだぞ」
「――っ。…はい!」
もう肩口に顔を埋めている利央と一緒に準太も抱き寄せられた。
幼い頃から自分たちを見守り続けてくれた存在を、噛み締めるように2人も手を伸ばす。
そして包容のあと、和己は保護者達の集まる場所へと背を向けた。
離れる一瞬、目元に光るものが見えたのは、多分2人の見間違いではないはずだ。

大きな存在だった。
頼るには不足ない存在だった。
その腕の中はとても暖かで心地よく、何者からも守ってもらえる場所だった。
けれどそこは子供の居場所。
今は春。
巣立ちの季節だ。
多分自分たちは、これから夜を知るだろう。
黒より深い、漆黒の暗闇を知るだろう。

「利央」
和己が校門の影に消えるのを見送ってから、準太は利央の名を呼んだ。
そしてそのまま、戸惑いながらも手を伸ばす。
まだ独り立ちは出来ない。
だけど、2人なら夜を歩くことも出来る気がする。
「頼んだぞ」
和己から受け取った言葉を、今度は準太から利央にも託して。
涙を拭いて、利央は「うん」と大きく頷いた。



***



殆んどの卒業生が家路について、玄関前もまばらになった。
部の3年生を見送り終えた準太と利央は、なんとなくその場を去りがたくて、もう人気もほとんど無いそこから動けない。
日の傾いた寂しげな玄関前。
そこからひょっこりと、見慣れた顔が現れる。
「あ、慎吾サン……」
他の卒業生とは違い一人きりで現れた男は、並んでいる2人を一瞥して微笑する。
「見送りゴクローさん」
「……卒業、オメデトウゴザイマス」
準太の表情は固い。まだ何処か、この先輩に油断してはいけない気がするのだ。
「そんな目ェすんなよ。……で、2人揃っているっつーことは、上手くくっついたのか、お前ら」
あの日から半月が過ぎていた。
もう殆んど登校する必要の無かった慎吾は、その結果を知らない。
もちろん探ろうと思えば幾らでも出来たのだが、どちらに転んでもその結果を聞けばもやもやするだろうなと、この最後の日まで先送りにしてきた。
慎吾の視線を受け、利央の目が揺れる。
「何だよ、まだ答えだしてねーのかよ」
あれだけお膳立てしてやったのに?とその視線が怪しむように準太を探った。
一瞬外した視線を再び慎吾に戻し、準太は意を決したように口を開く。
「……まだ言ってないんスよ」
「それはまだ気持ちが決まってないってことか?」
ふう、と肩を落としながら慎吾は吐き捨てる。
半月前を覚えている。「利央のためなら高くない」とその腕の価値を示した準太。
自分のことを射殺さんばかりに睨んだ時点で、もう答えは出ているだろうに。
忘れない。黒い漆黒の目の中、最上級の炎が燃えていたことを。
「泣かせるなよ」
あの日言われた言葉を思い出し、慎吾はちょい、と準太の額を小突いた。
はっとしたような顔をする準太を無視しながら、利央に笑ってやる。
「たまには帰ってくるからな。練習、サボるなよ」
「わわっ、慎吾サン!!」
これが最後だ、とその感触を楽しむように利央の髪をかき回し、慎吾は校門へ去っていった。
その影から彼を待っていたように友人が飛び出して、準太と利央はもしかしたらわざと一人で玄関を出てきたのかもしれない、と思った。
相手に気遣いをさせないその優しさは、ひとつ上の先輩だから、いや、慎吾だからできることだろう。
こみ上げてくる感情に、準太はそっと校門に向かって頭を下げる。

準太が頭を上げ終え利央に振り返ったところで、春の突風が2人を襲った。
西の山から駆け下りる、この時期特有の風。
「……ぷっ、お前葉っぱついてる」
慎吾に乱された髪は、器用にも数枚の葉をそこに絡め取っていた。
ひどい有様になった髪を準太は整え、不意にその手で利央を抱き込む。
「準サン?」
突然の抱擁に驚いた利央がその顔を覗き込もうとするが、肩口に顔を埋めたままの準太はそれを拒むように腕に力を込める。
「和さんのな、合格発表の日……」
「うん?」
いきなりどうしたんだろう。和己の大学の合格発表の日なんて、もう10日も前の話だ。
あの日自分も朝からそわそわしてた。丁度部活も学校も休みの日で……、和己からの連絡をすぐに受け取れるように携帯の前で待っていた。
「……携帯に和さんからメールが届くまで、俺、忘れてたんだ」
「ええっ!それホント? 準サン」
信じられない。テスト前までずっと、「和さん大丈夫だよな」が口癖だったのに。
「だからな、多分俺はお前が好きだよ」
利央の脳幹がぶるりと震えた。瞬間的に理解したのは自分の体のどの部分だっただろう。
頭でないことは確かだ。耳に入った言葉をぐるりと細胞が吸収する。
うそだ、と瞳が緩んで、けれど指先はしっかりと準太の背に回った。
「ちょうどお前のことがぐるぐるしてるときで……、和さんのこと忘れてたってことは、きっとお前のことが好きなんだよな」
自分にも言い聞かせるように準太はそう言った。
何よりも大切で、敬愛していた幼馴染、和己。
そんな彼を思わず心の片隅に追いやってしまった時点で、自分の中で優先順位が入れ替わっていたことに気づいた。
「じゅ、準サン、もう一回……」
呆然と呟いた利央を、これまで穏やかだった準太がべりっと引き剥がす。
「2回も言ってやっただろーが。ちゃんと聞いとけ! このアホ!」
むすりと表情を変えた準太は、未だ状況が飲み込めていないような利央を一人置き去りにしてくるりと背を向ける。
数メートル先まで行ってしまった準太に、ようやく利央ははっとなって駆け出す。
弾む駆け音はそのまま彼の心模様を表している。
ひとつの別れを越えて、今度は2人の道が前に続いているのだと、前を歩く準太を追いかけながら利央は思った。



勇気と共に戸惑いを脱ぎ捨てて一歩踏み出してしまえば、それは決して悪いものではなかった。
ただひとつを除いて、それは自分達を変えるものではなかった。
知りたかった夜の世界。
漆黒の闇の中、輝かしい光がある。
褪せることのない七色を、両手いっぱいに広げてそれはそこにある。
夜に浮かぶ虹。
恋に似た、至上の宝石。







あとがき

やっと終わりました。
最中は、ほぼ月連載のようなのろのろ更新ですみません;
夜の虹というのは本当にあることだそうで、映像を見たときにいたく感動したのを覚えています。
準太と利央がきちんと自分の気持ちを認めるまでを書くことは大変で、しかも書いているうちにどんどんと当初書こうとしていた内容とは違ってしまいましたが、これはこれでいいかなと思います。
最後までお付き合い下さって、有難うございました!

太鼓橋……大分方言・虹の別名
2008/08/22