*絶対温度*


日差し緩やかな午後。
春の芳醇な緑の香りを乗せた風が、開けられた窓から柔らかく部屋に侵入する。
部屋の中央に鎮座した木目調のテーブルには、ノートと教科書、そして参考書が所狭しと並べられ、 僅かに見える隙間には蛍光ペンや消しゴムがそれを覆うかのように散らばっていた。

「……じゅんさーん、休憩しようよー」
そんな雑多な場所に大きな体がどさりと落ちた。さして広くも無いテーブルに彼が手を広げれば、 それだけでもう教科書たちの文字は見えない。
「りーおーっ! さっき休憩したばっかだろ、テメーは!」
そんなやる気のない後輩の横、額に青筋をたてて準太が怒鳴るのはいつものことである。
毎週毎週、「宿題終わらない、助けてー」と泣きつく利央。
成績が下がりすぎれば部活にも支障が出るからと、仕方なく毎回手を貸す羽目になるのだ。

自分とてそんなに余裕があるわけじゃない。
利央が泣きついてくるたびに、自分の手元にあるプリントを握り締め、準太は思う。
それでも付き合ってやるのは、この後輩が一人じゃどうにも出来ないことを知っているから。
そして、自分以外に頼られたくはない、という感情も僅かながらにあるからで……。

なのに。
「いい加減にしろ、利央。さっきからちっとも進んでねーだろが!」
机に突っ伏す後輩は無反応。
手を貸してもらっている、などという恩義など一切感じてはいないらしい。
これには怒るなという方が無理である。
案の定、準太は深いため息をつき、手に持っていた参考書を足元に放り投げてしまう。

「……勝手にしろ」
吐き捨てて、机の上を占領する利央の体を向こうへと押しやる。
次いで鞄から取り出したのは自分の分の宿題。
無言でそれを片付けに取り掛かった準太を横目でちらりとだけ確認して、利央も首を反対方向へと背けた。



* * *


その後しばらく、シャーペンが紙の上を走る音以外は何も聞こえない、静かな時間がその場を支配していたが、 ふいに衣擦れの音がそれを破った。
「……なんだよ」
動かす右手はそのままに、準太は自分の左肩に寄りかかってきた利央を怪訝そうな声で諌める。
「別に、何も」
少しだけ拗ねている様子の利央は、通常の彼では考えられないくらいのそっけない返事をした。
準太の方は難解な数式を解いているうちに少しは機嫌がなおったらしい。
肩を下げるだけで呆れを表して「しょうがねぇなあ」と心の中で呟く。

「……お前、寝るんなら布団行けよ」
ぴったりと体を寄せた利央の瞳は半分閉じかけていて、シャーペンを放した準太は色素の薄いくせっ毛をわしゃりと撫でた。
「オレ、ジャマ?」
「邪魔」
髪に触れた手に反応するように、準太の左腕をぎゅうと抱きしめて利央が問う。
けれど、黒髪の彼の返事は実にそっけないものだった。
「ヒドイ!」
抗議の声と共に俯きながらぎゅうとしがみつく力を強めれば、密着した体から準太がふっと気を緩めた気配が伝わる。
それはなんだか、陽だまりのような気配。
きっと利央が顔を上げれば、普段は見られないとろけそうな微笑の準太がそこにいるだろう。
けれど、それを見てしまったら自分の心臓が破裂することを利央は知っているから懸命に我慢する。
「冗談。お前あったけーから、俺まで眠くなる」
「……っ!! それ、卑怯っ!」
自分の心臓の為に、せっかく見ないでいたのに。
耳すらも塞いでおかなければならないのか。

未だ俯いたままの利央の頬が、それでも赤くなっていることを確認して、準太はくしゃりと顔を崩した。
自分で口にしておきながらなんだかくすぐったい。
でも、それは紛れも無い自分の本音だから。
ゆっくりと体を後ろに倒して、左腕に撒きつく可愛い後輩をそっと引き剥がす。
そのまま胸の上に移動させれば、おずおずとどこか気まずそうに見上げる、不思議な色の瞳。

「……だって、宿題の時間長引けば、そんだけ準サンと一緒にいられるじゃん」
もごもごと口ごもる言い訳は、本当に小さな吐息のようなものだったけど。
それが何よりもこの優しい子供体温に似合う言葉だったから。
そして、自分を何より喜ばせる言葉だったから。

――…ゴメン。

準太の耳に寄せられた唇が消え入りそうな声で呟いた、最後の言葉。
それに笑って許してやって、ほんの少しのまどろみの時間へと。

重なった胸の中、同じリズムで刻む鼓動。
分け与えられた体温は、絶対の時間を恋人たちにプレゼントする。

(どうか、幸せな夢を――)






なんだか眠りを題材にした話が多いような…?
自分の中で眠り=癒し的なイメージがあるからかもしれません。
というか、利央の体温は間違いなく眠くなると思う!

2010/04/29