*それ以上に甘いもの*春浅い白い光。 心地よく沈む明け方のまどろみを突然に邪魔されて、準太は枕から顔を上げる。 「……いってぇな」 どうやらうつぶせて寝ていたらしい。後頭部にジンジンと残る鈍痛。 隣では、大の字になって大口を開けたまま眠る利央の姿。 その左手が自分の背中からするりと落ちて、ああきっとこの手が頭にぶち当たったんだと思った。 「このアホ。寝相悪すぎんだよ!」 寝起きから盛大に刻まれる眉間の皺。仕返しに額を叩くが、熟睡中の利央は全く気付かない。 手のひらを彼の顔にのせたまま、準太はなんともなしに緩んだ利央の口元を見やる。 白い歯の中、一つだけある銀色の治療痕。 そういえば昔、これをめぐってどうしようもないケンカもしたな、と――…。 * * * 高校時代、まだ秘め事みたいな恋をしていた。 その頃はキスひとつするのにも大変で、だからこそ、一つ一つが大切でもあった気がする。 ちゅ、などという軽い音が狭い部屋に響いて、その場にいる二人の脳を甘くくすぐる。 数回触れるだけのキス。 互いの背中にそっと腕をまわし合って指先がシャツを掴む。 「んっ……いたっ」 利央からそんな声が漏れたのは、キスが深くなって間もなく。 引いていった顎に、疑問符を浮かべて準太は繋いでいた唇を離す。 「なんだお前。口切ってる?」 「や、そーじゃないんだけど……」 舌を伝った銀糸が切れるのを待って、準太は片眉を上げて訝しむ。 もごもごと口ごもる利央。彼は嘘がつけないから、それを見破るのは簡単だ。 準太が睨むように表情を変えてやれば、「うう……」と目を逸らす。 「おい、利央。隠し事なんていい度胸してんじゃん?」 視線を外した利央の両頬を鷲掴み、ニヤリとした準太は再び唾液に濡れた唇を貪った。 血の味はしない。 特にどこか怪我をしているわけではなさそうだった。 「――…む、うっ、ン!」 さいそう甘い雰囲気など忘れ、準太はただ探索という目的で口づけを行う。 そしてとある箇所を長い舌が掠めた瞬間、利央の体は再び跳ねる。 舌触りに異変を感じて準太も止まった。先程と同じく唇に距離をとりつつ、利央に詰め寄る。 「利央、口あけろ」 「……や、やだ」 「あけろっつーの。っつーか、もうバレバレ。馬鹿じゃねぇの、お前」 盛大なため息と呆れ顔。 こういう顔をされるから嫌だったんだ、心の中だけで呟いたらしい利央はおずおずと口を開く。 そこには、準太の予想したとおり白い歯を侵食する黒い穴がぽっかりと存在していた。 そのあとはもう修羅場、というのにふさわしい状態だった。 多分、これだけ深い穴なら水を飲んでも痛むだろう。 さっさと歯医者に行け、という準太と絶対に嫌だ、という利央。 行きたくない理由はただ一つ。 『痛いから』 そんな理由を聞いた準太はますます怒って。 ものを食べるたびに痛いなら、治療の痛さも一緒じゃねーかと思う。 けれど利央は『あの削る音が嫌なんだよー、じゅいーんってさぁ』と。 本当に、お前は高校生か、などとあきれ返る準太。 そうしてそんな押し問答が数十分。 こういうときどちらも譲れないのが準太と利央、二人の悪い部分で。 子供な利央と大人気ない準太。それはこの後数年間は変わらないわけだけど。 そんな勝負を決定付けたのは準太の一言。 「治さねーかぎり、キスしねぇからな!」 * * * くっ、くっ……。 抑えた笑い声が光溢れた寝室に木霊する。 しばらくの思い出の旅から戻った準太は、そこでようやく利央の顔に置いたままの自分の手を思い出した。 「……何笑ってんの? 準サン」 どけた手を追って、笑い声に呼び覚まされたらしい利央の目が開く。 相変わらず光に当たって、不思議な反射をする瞳だ。 「起きたのかよ。まあちょっと昔話、思い出してた」 「昔話?」 「そう、お前のその虫歯の話」 寝癖のついた髪そのままに柔らかく笑ってやれば、利央はうわー、と耳を赤くする。 「……ヤダヤダヤダ! 次の部活休みの日に絶対いくから、って言ったのはこの口だったか?」 からかい混じりに声真似してやると、利央はますます赤くなる。 「お前ってホント、俺のこと好きだよなー」 言葉にしながら準太は思い出す。 キスしてやらない、なんてよく言えたものだ。 キスできなくて困るのは利央だけじゃないはずだったのに。 もし彼が歯医者に行かなかったら、自分こそいったいどうするつもりだったんだろう、と。 「なんか、甘いもの食べたくなった。今日どっか行かない? 準サン」 照れ隠しなのだろうか。 布団に半分ほど顔を隠して利央は盗み見るように隣の準太の横顔を眺める。 それにいいや、と呟いて準太は布団を利央から剥ぎ取る。 唇に、掠めるような、くすぐったい感触。 ――…もっと甘いものがある。呟いた準太は幸せそうだった。
あまっ……;
恥ずかしいのはこっちだよー…; 2010/03/09 |