*花売り*


大気が今よりもずっとずっと重くなった時代。
陽の光と空の青が唄を忘れ、鳥や蝶や、あらゆる”飛ぶモノ”達が歴史の彼方に忘れ去られた時代。
再びソラを飛ぼうと、人は遙か上空のその広い夜に憧れ続けていた。



「花を買いませんか」
さびれた裏通り、一人の少年は毎日花を売り歩く。
籠に整えられた花は、この時代一体どこから摘んできたのか、鉛色の空には似合わず澄んだ桃色に黄色を織り交ぜて気品高く咲いていた。
だがしかし、わずかに道を行く人々の心は病んでいた。
キレイなものをキレイとは思うことは出来ず、身に宿すのは飢餓と渇望と無気力の鬼。

「花を買いませんか」
呼びかける声は絶望を知らず、重い大気をかき分けて人々を救おうとする。
手にした花も生き生きと、崩れかけた裏通りのレンガの色にも染まらない。
けれどもしかし、明日すら分からないほどに人々の目は色を映すこともなかった。
少年の髪が、太陽の光のようにまばゆい色を纏っていても。
その瞳が、不思議な七色の希望を携えていたとしても。

「……花を、買ってよ」
悲しげに肩を落として、少年はそっと上を見上げる。
街を支配するように聳え立つ、巨大な航空センターがその視界に広がった。
分厚い鋼鉄の外壁には、窓ひとつさえ見つからない。
一体あの中で何人が暮らしているのだろう。何人が、働いているのだろう。
早く早く早く……。
あの塔から、打ちあがってくれないと人々は絶望に負けてしまう。
あの塔から、聞こえる日をきっとみんな待っている。
ロケットの轟音。
ソラへ飛び立つ、その合図。
希望の光帯。



「――花を……」
ある日現れた怪しげな人影に、少年は花を差し出す。
人影はフードのついたマントから汚れのない手でそれを受け取った。
「……まだ、こんな所にも言葉を話せるやつがいるんだな」
桃色の花弁を眺め、人影はバサリと重いフードを取り去るとその視線を少年へと戻す。
花を受け取られたそのことに、少年はただ驚いて。
その人が、その人の方こそが、言葉を発したことに呆気にとられて。
「どこに咲いてんだよ、花なんか」
透ける花弁を頭上にかざして愛でるその人の髪や瞳は、少年の憧れの色だった。
「……ソラだ。ソラの色だ!」
目の前にある黒髪に思わず手を伸ばし、指先で摘む。
人影は驚いたような表情をして、その腕を掴んだ。
「喋れるだけじゃなくてありえねぇくらい元気だな」
「……名前。名前、教えて」
掴まれた腕など気にもせず、少年は真っ直ぐに人影を見つめた。
七色の瞳と、漆黒の瞳がその視線を絡ませる。
――…それは天のいたずらだった。
「準太。お前は? 名前、覚えてるか?」
「利央」
――…それは、謳われるような韻を持つ名前だった。



***


中の人。
憧れの航空センターに住む人。
そして選ばれた人。
翼を持って、やがてソラへと飛ぶことになっている人。
――じゅんた。

センターの人に見せたいと言い、その人は籠いっぱいの花を全て持ち帰った。
誰にも愛でられず、ただ枯れるはずだった花たちは、その人の腕の中で唄を謳う。
「……人はもう一度、ソラを飛べる?」
「もう、あと少しでな」
「準サンは、翼を貰ってるんでしょ?」
「……帰ってきたら、いっぱい話、してやるよ」
ぐしゃり、髪を乱されて。
はにかんだように、憧れの色は気配を優しくした。
「じゃあ、色を」
「あ? なんつった?」
「この星はいま、どんな色をしてるのか、教えて」
遙か彼方の歴史の中、サファイアブルーの美しい惑星。
今は恐らく、ピジョンブラッドのような、死の惑星。
けれどもしかしたら。
ほんの少しでも、あるかもしれない。
希望の土地が。その美しい光の色と鮮やかな青を持った場所が。
花達が、自然なままで歌える場所が。
「……宇宙に飛んで、でもきっと、俺はお前のいるこの場所がわかるんだろうな」
髪に差し入れられていた手が、ぐいと己の胸に利央を引き寄せる。
センターの清浄な空気の匂いを移した制服から、かすかに消毒液の香りを貰った。
どうして。
制服の襟に額を押し付けられたまま、利央は尋ねる。
「お前がいるからな」
答えにならない答えを、準太は可笑しそうに呟いた。

――…こんな裏通りに、言葉を忘れず、絶望を知らず、もうこの世から立ち消えたはずの伝説の花を持って。
    たくましく生きるその少年は、それこそが奇跡。
    それこそが、希望の場所であるはずだから。

「きっとこの裏通りは、青い色をしてる。光の色をしている。だからな、もう少し頑張れよ、利央」
俺が漆黒の空へ行って、そして”明日”を持ち帰るその日まで。
「準サンが、いっぱいいっぱい、ソラの話をしてくれるならね」
「じゃ、そのときは黄色い花を俺にくれ」
分厚い制服越しにぎゅうと光を抱きしめる。
くすぐったそうに身をよじった花売りは、重い大気を振り払うようにほころんだ。

小さな銀河の片隅の、小さな星の、小さな出会いの物語。





あとがき

ひとつくらいパラレル設定のお話もあってもいいかな、と;
SF色が強いのは完全に私の趣味ですが…。
準さんがやたらおしゃべりなのはまあ差し置いて。
利央に花売りは似合いすぎた気がします(笑)

2009/03/20