*大空讃歌*


11月最初の日曜日。
澄んだ青い海のような空がどこまでも広がっていた。
だが、それとは裏腹に彼らが踏みしめる足元は泥深く、秋には不釣合いな熱気がこの場を支配する。

「センター! はしれっ!」
「っしゃー、戻せ、はやく!」
春の選抜大会出場をかけ、秋季関東大会の二日目。
一昨日過ぎ去ったばかりの今年最後の台風は、この球場も荒らしていった。
スパイクがずぶずぶと泥に沈む。
いくら盛り土をしても追いつかなかった、最悪のコンディション。
九回を迎え、すでに両チームともユニフォームには濃い茶のシミでまだら模様がついている。

(……同点。でも、ここで踏ん張ればオレたちにはまだ攻撃が残ってる)
マスクを軽く持ち上げながら、利央はマウンドの準太と頷きあった。
九回表、ツーアウト三塁の危機的な場面。
選ぶのはもちろん、彼の決め球、シンカー。

ぞわりと胸に緊張が走る。
彼の決め球、それは本当にキレがよくてまさに『切り札』だった。
もちろん自分も、その球を信じている。
むしろ信じられないのは自分の方。
どうか……捕りこぼしませんように――。

いつも通のフォームでセットアップする準太。
そこまでは何一つ変わらなかった。
けれど。
ここまで酷使されてきたマウンドで、悲劇は起きた。
リリースの瞬間、力をこめた足元がずるりと滑った。
指を離れた白いボールは、精一杯右方向に体を伸ばした利央のミットを、僅かに逸れて行く……。
ベンチからは悲鳴に似た金切り声。
バックネットに走った利央がボールを手に振り返った時には、相手校のランナーが揚々とホームベースを踏みしめていた。

一点のリード。
ベース付近までカバーに駆けつけていた準太が、苦い顔で帽子を被りなおす。
はっとなって、利央はその人に歩み寄る。
「土、今日よく滑るから……、足大丈夫でしょ? あとワンナウト、切り替えよ」
ボールを擦って綺麗にし、準太に手渡す。
帽子の下からは、まだ生気を失わない、力強い目が見えた。
「……ぜってー負けねぇ」
とん、と受け取ったボールを包んだグラブで利央の肩が押し戻された。
(大丈夫、まだやれる。今日の準サン、調子いいもん)
笑顔でボックスに座りなおす利央。そして守備についたチームメイトたちも「まだまだ」と声を掛け合う。
最後のアウト。
もちろん、それはすぐにやってきたのだった。



***



その裏、桐青は相手投手のリズムを掴み、勢いに乗っていた。
ワンナウトに一塁・二塁。
打順は6番、同級生がバッターボックスで気合を入れるのを準太はサークル内からじっと見つめる。
(……ぜってぇ負けねぇ。あんな一点で負けるなんて認められるか。今日は――)
わっ。
相手チームのベンチからの歓声で、準太の思考は中断した。
空振りの三振。
先程とられた守備のタイムが功を奏したのか、向こうのチームも勢いが戻りかけている。
「……最後、カーブだった。悪い、準太」
「おお、後は任せろ」
俯いたチームメイトの背中を叩いてやって、バッターボックスへ。
監督からのサインは『打て』その一言だけ。

知っている。この後の8番・9番のバッターはこの投手の決め球、カーブが苦手なこと。
知っている。こんなに追い詰められているのが、さっきの自分の一投からだってこと。
知っている。監督が『打て』とその指示をしてくれた理由。
今日が――…。


カァァン――…!!


見据えていた思い通りの変化球。
一巡目に見たのとほとんど同じ、カーブの軌道。
一振り目だからと、迷いなくバットを振ったのも追い風になった。
高い金属音が木霊する。
伸びる、伸びる、伸びる、純白のボール。
「っ……、はいれぇー!」
駆けながら思わず叫んだ、瞬間。
フェンスギリギリ、伸び上がった右翼手の十数センチ頭上をそれは飛び越えた。

「よっしゃ!」
ガッツポーズのまま二塁を力強く踏む。
そのまま、少しだけスピードをゆるめて三塁、そしてホームベースへ。
バットを片付けてくれたチームメイトと笑顔で抱き合って、そのまま試合終了を告げる審判の声が響いた。

「準サぁン!」
挨拶を終えた準太に、飛びついてきた塊。
肩口に押し付けられたのはふわふわのクセ毛。
「準サン、準サン、準サン!」
「お前は言葉を忘れたのかよ」
「……どーしよ、すごい! 準サンすごい!」
ぎゅうぎゅうと自分に抱きつく利央に、準太はそのままぶはっと吹き出す。
利央のスゴイコールはそのまま何度も続き、ようやく準太から離れたと思えば興奮した顔で鼻息荒くその場を飛び跳ねた。
「おい、いい加減にしねーと監督にどなられっぞ」
「……うっ、それはカンベン」
ぴたりと動きを止めるこの人物が、可笑しくて愛しくて堪らない。
本当に、逆転できてよかった。
しかも自分の、この手で紛れもなく成し遂げたのだ。
未だミートの瞬間の感覚で痺れたような手のひらを、まじまじと見つめて準太は笑った。

「利央」
「へ、な、なに、準サン」
「三ヵ月後は三倍返しだからな」
かけられた言葉に呆ける利央を尻目に、準太は観客席へと挨拶の為足を進める。
そんな二人の後ろからチームメイトはくすくすと笑っていた。



11月7日。
最高のプレゼントを贈った男と、それに気付かない相手のお話。






日記でちょっと出したので、秋大会の話になりました。
利央は多分、この後チームメイトから祝われて、やっと気付くといいなと思います。

今年もこの愛しい子が幸せでありますように。
2010/11/07