*あしたのゆめ*(JR・ちったいたん番外編2)*** 夕飯時を迎え、秋の宵闇にカレーだの焼肉だの、そんな「旨そうな」匂いが漂い始めた。 まだそれほど寒くない外気を感じながら、それでも母親の指示に従って俺は窓を締め切り、ついでにカーテンを閉める。 『さぁ、おにいさん・おねーさんと一緒に、カエルのかっ君体操はーじめーるよー!』 「かーしゅんたいそー! えいえいおー!」 明るい照明の下、テレビの前で利央はいつも通りお気に入りの教育番組の歌に合わせて踊っている。 「いー。にー。さっ、しー! えっえっ、おー!」 ……んー、何とも言えねーくらいのマヌケ加減。 窓際に立ったまま、懸命に踊る利央とテレビ画面を見比べて俺は肩を震わせる。大口を開けた頭でっかちが短い手足をバタバタと動かし続けている。どう見てもそれは体操といえるようなものではなく……。 「――ぶふふっ!」 あ、ヤベー。わらっちった。 口元から堪え切れなかった息が漏れ、俺は慌てて手で顔を覆う。 「……じゅんちゃ!!」 おー、怒った怒った。めずらしー。 案の定利央は唇を尖らせ、きっ、とこちらを睨みつけてくる。 ほっぺたぷくぷく。目だってぐりぐりにデカイんだから、ちっとも迫力が無くてさらに笑いそうになる。 いやいや、これ以上機嫌を損ねると確実に泣くだろうから堪えっけど。 「わりぃ。ホラ、次の曲、始まるぞー」 そう言ってテレビを指差し、何とか利央の意識を逸らした。子供ってのはホントに単純で、それだけでもう先程の疳の虫はどこへやら。再び不思議な踊りに没頭し始める。 利央がうちにやってきて早半年。 始めあんまりにも「いい子」だった利央は、その健気さは失わないまま、固さだけが取れてきた。夏の終わりに、ようやく兄貴の「呂佳」とも数日間会えたからかもしれない。 今では俺にだってただ懐くだけではなく、さっきみたいに不満も素直に露わにする。最近俺はそんな利央の小さな変化がどことなく嬉しかった。慣れた、というか。本当の意味で家族にだって、なれてきたんじゃないかと思うから。 ――…トゥルルルルルル……! ソファに戻りかけた俺は、電話の音に気をとられて立ち止まった。キッチンとリビングの狭間のミニテーブルに置かれたそれに駆け寄ろうとすれば、数秒早く受話器はキッチンから顔を出した母親の手の中に収まる。 「はい、高瀬でございます」 あいも変わらず普段俺や弟を怒鳴りつけるのとは大違いの猫撫で声で応対する母親を、若干呆れながら見送って今度こそソファに腰掛けた。 『はーい、じゃあきょうはこれでおしまいだよー。また来週も元気に皆で踊ろうねー。さよならー!』 「しゃよーならー」 丁度番組も終わったようだ。画面の中で満面の笑みを浮かべる歌のおねーさんに手を振って、利央も機嫌よく笑っている。 「じゅんちゃー!」 かと思えば、その数秒後にはソファに座る俺の膝目がけてダイブ。あっぶねーな、こら。 「こらりおう、いきなり飛びついたらあぶねーだろ」 「じゅんちゃ、だっこ!」 上目遣いから覗く不思議な色の瞳に負けて、俺は伸ばされた利央の腕の下に手を差し入れる。 ん、やっぱり少し春先よりも重くなった。 「――あら、まぁ。ええ…明日と明後日ですね、はい」 腕の中でもぞもぞ動く利央からふと意識を伸ばせば、母親の困惑したような声が聞こえた。何かよくない雰囲気だ。 そして予感は的中した。電話をきった母親が、申し訳なさそうに苦笑いをして俺に近づいてくる。 ……知ってっからな。その顔が俺にやっかいな頼みごとするときのものだってこと。 「じゅーんーたぁ」 気持ち悪っりぃ。なんで母親って人種はこういう時だけ甘い顔になるんだか。コレにころりと傾いてしまう親父が俺には理解できねー。 「んだよ」 「あのね、実は小森さんのお家、奥さん今朝亡くなられたんですって」 「え。だってあそこのおばさん、まだ若けーじゃん」 「脳内出血ですって。旦那さんもお子さんもお気の毒だわ…」 思ったよりも深刻な話だ。近所の家。確か高校生位の子供が二人いたような気がする。 「それで、母さん明日と明後日お葬儀のお手伝いに行かなきゃならないから…、準太、りおう君とお留守番してよ」 「……いや、あさってはいーけど。明日は俺、ダメ」 丁度明日は土曜日。幼稚園もやっていない。父親は九州に出張中、弟は部活の遠征。俺しかいないのはわかってっけど。 「だって、お葬式の雰囲気の中にりおう君連れて行けないじゃない!」 「人と会うんだよ! 遠出だから俺のほうこそ連れてけねーって」 「……あら、お邪魔ってことは彼女?」 今しがたまで困り顔だった表情が意地悪く変わる。本当にこういう時調子いいんだ、うちの母親は。 「ちっげーよ、和さん! 東京まで行く予定だから!」 「あら、和己先輩なの。ならいいじゃない、子供好きでしょ、あのコ」 微笑んだ母親は、まだ文句を言う俺を放ってそのまま2階に逃げてしまった。マジかよ。 「……じゅんちゃ、りおう、じゃま?」 俺たちのやり取りの内容がなんとなく分かったのだろう。抱いた腕の間から利央の悲しそうな声がして、俺はため息をつく。 必死で涙を堪える目、下がった眉、歪んだ唇。 頼むから、その顔はやめてくれ。 軽く頭を撫でてやり、利央をソファに座りなおさせようとすると、利央は嫌がるように俺のシャツを掴んだ。 「りおう…」 呼びかけは完全無視。別に引き剥がそうとしてるわけじゃないのに。隣の部屋に放りっぱなしの鞄から、携帯をとりに行きたいだけなのに。 ……全然邪魔じゃないといったら嘘になるけど。 やっぱり子供を連れていれば色々制限もあるし、話しにくい話題だってある。 けど、お前を一人にするのと天秤にかければ答えなんてすぐ出るよ。本当に馬鹿だよな。 「わかった。一緒に行こう」 首元に埋められた顔のせいで、顎に触れる髪がくすぐったい。 天然甘え上手ながきんちょめ。 俺がお前に敵わないって、ホントは分かってやってるんじゃねーの? 「じゅんちゃ…、ごめんなさい」 「なんで謝るんだよ。お前、悪いことしてねーだろ」 仕方なく利央を抱いたままドアを開け、隣の部屋の鞄に手を掛ける。 「……でもじゅんちゃんのじゃまになる」 「なんだよ、やけにこだわるな、そこ。……じゃまじゃねーよ。明日、俺の先輩も一緒だけど、それでいいだろ?」 「うん」 多分、母親の言ったとおり和さんは利央の同伴を快く受け入れてくれるだろう。和さん自身、高校時代バッテリーを組んでいた時代には利央をそう歳の変わらない弟妹がいたんだし。 いまだ離れない利央に片手をとられながら携帯を弄る。耳には聞きなれた呼び出し音。 次いで懐かしい人の声。 弾んだ声で対応する俺の様子に、利央はさらにシャツをきつく掴んだ――。 あくる日。俺の家の庭に和さんの姿があった。 昨日電話で相談した所、和さんは利央の同伴を許すどころか子供連れの俺に気を使ってわざわざ俺の家に予定を変更してくれたのだ。 なんつーか、あれだ。やっぱりすげー先輩だなって思う。相変わらずの面倒見のよさは本当に尊敬する。 「おー、準太、久しぶりだな!」 「ホントっすね。大学の方、どうですか?」 「まあまあかな。もうすぐ就活が始まるよ」 数ヶ月ぶりに会う和さんの姿に、自然と笑みがこぼれる。ひとかた声を掛け終えて振り向くと、玄関先で親しげに話す俺と和さんを、リビングのドアから黄色い頭が覗いていた。 あれ、顔が冴えねーな。さっきまではたしか、おもちゃで機嫌よく遊んでたはずなんだけどな。 「りおう」 不思議に思いつつ、和さんに紹介しようと名を呼べば、利央はしかめっつら。ホントにどうしたんだ? 「りおう、和さんだぞ。さっき話しただろ」 「りおう君、和己だよ。よろしく」 はー、うちの親父に勝るとも劣らない子供受けする笑顔。相変わらず見事だなー。 「あれ、りおう…?」 完全無敵の和さんスマイルを、あろうことか利央は無視して再びリビングへ引っ込んでしまった。なんだぁ、あいつ。 「うーん、人見知りされたかな」 靴を脱いだ和さんから苦笑が漏れてる。人見知り?そんなの今までよほどじゃなきゃしなかったはずだけど。 「なんでしょうね。初対面でも割りとすぐなれるほうだと思うんですけど」 そんな話をしながら利央の消えたリビングへ。 いつもの明るい笑顔が影を潜めたまま、利央は静かにぬるくなったココアを飲んでいた。 「おーい、りおう。どした? ちゃんとあいさつしなきゃダメだ」 呼びかけに反応しない利央の様子に、俺の短気が頭をもたげる。語尾はしらず強い口調になって、和さんが横から俺の肩に手を掛ける。 荒げられた俺の声に、利央はようやく観念したのか、トテトテと重い足取りで俺たちの前に進み出た。 「こんにちは、は?」 「こんにちわ……、なかざわりおう、しゃんしゃいです」 ぺこんと頭を下げ、横目で俺を盗み見る。 あほ。俺の顔色うかがってすることじゃねーだろ。 それでも、一応合格か、と頷くと、少しだけ利央の表情に輝きが戻った。 「いい子だね」 和さんはそう言って利央の頭に手を伸ばす。 あれ、なんだまたしかめっ面? なぜか一瞬そう感じて、けれどそこにいるのはいつもの利央だった。 首を傾げるも、気にしてる余裕も無い。 「じゃ、飲み物でもいれますね」 和さんが頷くのを確認してキッチンに足を向ける。 どこかかみ合わないような、そんな違和感を残して。 相性が悪いんだろうか。 秋晴れの青空を背景にして、白いボールが幅数メートルを往復する。 和さんと久々のキャッチボール。嬉しいはずなのに、どこか気分が晴れないのは利央と和さんがいまいちしっくりこないから。 一体和さんの何が気に入らないというのだろう。午前中からずっと、利央は和さんに敵意むき出しだ。始めは慣れないからかと思っていたが、それから数時間。改善されるどころか、よりいっそう悪化していて、利央はもう和さんと口もきかない。 その姿にはさすがに俺もキレて、「なら勝手にしろ!」と怒鳴ったのがつい先程。なんとか利央の機嫌をとろうとしていた和さんも流石に考え込んで、しばらく利央をそっとしておこうと、二人でキャッチボールでもすることにした。 ボールとグラブのぶつかる乾いた音に耳を傾けながら、リビングの大窓を開け、利央は俺たちを見てる。 ああ、もうなんでそんな泣きそうな顔してんだよ! いらいら、いらいら。 本当に気になって仕方ない。せっかく和さんと会っているのに、俺のほうこそ機嫌が悪くなりそうだ。 「……あれ、和さん?」 返ってくるはずのボールが投げられず、俺はマヌケな声をだす。 「準太、りおう君さ、もしかしたら――」 「えっ、そんな。嘘でしょ?」 耳打ちされた言葉は驚きだった。慌てて横目で利央の様子を確認すると、ぎゅっと唇を引き締めて、お気に入りの黒猫の人形をきつく抱きしめるあいつの姿。 「間違いないだろ。俺、この前の正月に親戚の家で同じこと体験したから。まぁ、そのときは二人のいとこが喧嘩して、俺が取り合われる形だったんだけどな」 にぃっと笑って、和さんはグラブを利央の横に置いて片付けた。 「じゃー、ちょっとコンビニ行ってくるな。あと頼むぞー」 サイフだけ鞄から取り出し、和さんはさっさと庭を後にする。残された二人、ああ、確かに。 和さんの背中が見えなくなって、利央は何処か安心したような顔をしている。 「りおう」 「じゅんちゃ!!」 呼びかけて、隣に腰を下ろせば、途端ほころんだ顔。そのまま俺の腹に腕を回して、パーカーに頬をこすりつける。 気づかなかった。だっていままで利央がこんなそぶりを見せたことは無かったから。 ――ああけれど、そういえば家族以外の俺の親しい友人に利央が会うのは初めてかもしれない。 「りおう、お前、馬鹿だなぁ」 力いっぱい抱きついてきたぷくぷくの塊を、利き手で優しく包み込む。 「やきもちなんて、必要ないだろ」 「……やきもち?」 言葉の意味が分からないのか、不思議な色をした瞳ががっちりと自分を見つめる。吸い込まれてしまいそうな、魅力を持った瞳。 もう俺は、それに夢中だって言うのに。 「お前が和さんにたいして思ってる気持ちだよ。お前、俺をとられたくなかったんだろ?」 「……じゅんちゃ、きのうのりんりん、たのしそうだったもん」 「ああ、電話の声が?そりゃ久々に会ったし、和さんはいい先輩だからな。でもりおう、お前は家族だろ。もっともっと、一緒にいる時間も長いし……大事だよ」 言葉にすると案外照れくさい。でもいいんだ。ここにいるのはお前だけ。二人きりの囁きだから。 「……りおう、じゅんちゃのボール、とりたい」 「まだ無理だよ。そもそもお前、キャッチボールしたことないのに」 「とるもん!じゅんちゃの『きゃっちゃー』、りおうにだってなれるもん!」 こいつにしては強い口調で、珍しくたたみかけてくる。 その目は真剣。 なんていうんだろう、これ。くすぐったいようなむずがゆいような。そんな最高の心の弾み方。 「わかったって。でも、野球は大変なんだぞ。俺の球を捕るには体大きくしなきゃならないから好き嫌いもしちゃダメだ。そんで毎日少しずつ練習する。できるか?」 「うん!りおう、ぜったいじゅんちゃのきゃっちゃー、なるよ!」 光の色を携えたその声で、利央は夢を語る。 明日の夢、明後日の夢。そしてもっともっと先の夢。 子供にとっては遙か遠いその日の夢に、俺の姿が当然にあることを、とても嬉しく思う。 こいつ、絶対分かってないよ。お前が立派に高校球児になった頃、俺はとうに三十路を越えた、おっさんになってるって。 でも、利央。ありがとう。 お前の夢が俺とおんなじだってこと、俺はすげー嬉しいよ。 澄んだ空。どこまでも続くその様子が遙か未来を思わせた。穏やかな、秋の日。 |