*菫青石の子守唄*


※「救世主を孤独にする人」で喫茶店での出来事の翌日、医院から帰宅した晩の利央から準太へのメール。(p44の後)





夕暮れが遠くなる頃、風呂上りの利央を兄の呂佳が廊下で待ち構えていた。
玄関からの逆光でシルエットが重い。
首にかけたタオルから、驚きで思わず手を離し、利央はその数メートル手前で足を止める。

病院での出来事から、兄がどんな顔をして自分を出迎えるのかが怖かった。
なじられるんだろうな、そんなことを思いながら家の扉を開けてすぐ、兄は今と同じように自分を待ち構えていた。
今まで誰に言われたよりも散々馬鹿だ、アホだと小突かれ、そして話し合った、これからの事。
その会話の中、普段それほど気にしない兄との年の差を利央は思い知らされた。
同時に、今までどちらかと言えば敵に回してきた兄が味方になると、これほどに頼もしいのかとちらりと思い、けれどあまり認めたくないとため息もつく。
不思議な兄弟だ。利央は自分でそう思う。
物心ついたときから何となく、兄は自分を好きではないような気がして。
遠慮のような、そんなよそよそしさも冷たい言葉の裏に何処か纏わせて。
馬鹿にされたり、うざったいと言われ続けたり。
けれど、そんな兄に自分は強く惹かれてもきた。体のずっと奥深く、焦れるように脈打つ何かがあった。
『……とりあえず、俺がどうにか話すしかねぇな』
両親の出かけた自宅、呂佳らしくない言葉で締め切られたのが昼過ぎ。

それから数時間。
再び自分の目の前に現れた呂佳と目を合わせると、彼は無表情のまま首をしゃくった。
(――…部屋、行ってろ)
階段を示された時点でそう命令されたのだと理解して、利央は無言のままその場を立ち去る。
リビングからは仄かにテレビの音。
両親が帰ってきたのだと思ったから。

階段を昇った利央は自室のベッドに横になり、枕もとの携帯電話を手に取る。
ディスプレイは沈黙のまま。
昨日準太へと送ったメールの返事は、結局貰えないようだ。
「……ごめんね、準サン」
呟きながら、薄暗い自室で利央はゆっくりとメールを打ち始める。
長いメールになりそうだったが、階下ではわずかに兄と、そして母親の高い声。
向こうの話も長引きそうで、それなら時間も足りなくなることはまずない。

『すきだよ、準さん』

散々迷って何度も修正しながら、長文メールはそんな告白から始まった。
祈るように、ゆっくりと。
噛み締めるように、自分自身でその言葉を確かめるように。
拙い文章を、利央は手のひらの中の小さな機械に託して紡いでゆく。

ここ数日は、まるで激動の時代を生きているかのようだった。
自分の腰の故障。
無理やり剥がされた、少年時代の終わり。
それによって迫られた選択。
まだ知りたくなかった、自分と準太の未来の欠片。
晴天の中、通り雨をやり過ごして育んできた自分達の道は、いくばくか先、土砂降りの予報。
先に傘を開いたのは自分だ。
冷たい雨の中、準太はまだ、その手に傘を持たないまま。
今まで当たり前に差し出し二人で共有してきたその傘を、今回ばかりは利央は差し出せない。
だから……。
どうかこのメールが、準太の傘となりますように。
或いは、彼が傘を手にするきっかけとなりますように。
――…強く、強く、願った。


『ねぇ、準さん。すきだよ。いまさらだけど、すごくすごく、すきだよ』
『すきだから、言うんだ。準さんが、準さんだけの道を見つけてくれるの、オレはスゲー楽しみだから』
『マウンドの上に立つ、準さんも。オレをからかう準さんも。あとちょっと、情けないカオしてる準さんも』

もう、ここまで書けば利央は夢中だった。なんの思考もなんの技術もいらない。
記憶の中の準太の姿を思い出しながら、指先にはほかの何にも変えられない想いが集中する。
あんなことを書こうとか、あの台詞はちょっと取り繕わなきゃ、とか、色々考えていたはずなのに。
そんなもの、全部吹き飛んでしまって。
なんだか、ひたすら恥ずかしいメールになってしまいそうだ。
(って言うかさ、いつも、オレばっかり、こういうこと書いてる気がするけど……)
自分のメールを読み返し、苦笑と共に利央の頬が紅色に染まった。
準太はこうして、後々証拠が残ってしまうような――例えば手紙やメールには、自分の想いを綴らない。
二人でいるとき限定で、それもふいにただ一言そっけなく。
どうしようもねぇな、とか。ホントにお前は俺が好きだよなぁ、と口にする。
でも、その顔はほかに例を見ないほどなによりも甘いから。
利央はその表情だけで、胸がいっぱいになるのだ。むしろ、こんな風に直球勝負されたら、きっとあまりの歓喜で体がもたない。

長い文面の中から誤字を最終確認した頃には、もうすっかり髪は乾ききっていた。
階下からの声も無くなって、どうやら自分にももうすぐお呼びがかかりそうだ。
「……コレ、マジで誰にも見せないでよねェ」
恥ずかしさを押し殺し、利央は送信ボタンに指を置く。
本当に、こんな文面、見られたら恥ずかしさで死んでしまう。
むしろ準太にさえ読んで欲しくないような、そんな気分にすらなってしまいそうで、利央は慌ててボタンを押した。
こういうときには、人間勢いが肝心だ。
(もう、死ねる、マジで……!)
携帯を両手に握り締めたまま、自分の腕に顔を埋めて利央は待った。
これで返事が来なかったらと思うと恐ろしい。
「は、早く……鳴って」
待ち望む着信音。
そのまま、一分、二分……。
(この時間なら、準サン携帯見てるはずなのに…っ!)
利央の顔が曇り始めたその時、ブルブルと慣れ親しんだ振動。
乱暴に携帯を開けば、やっと待ち人からのメールが届いた所だった。

『バーカ。てめぇ日本語不自由なんだから、何言いたいのか全然わかんねぇ!ちゃんと言葉で伝えろっつーの』

なんて横暴な人だろう。
自分が祈って祈って、そして送った精一杯の言葉を全然分からない、と返してきたのだ。
けれど利央はきちんと理解していた。
最後の一文、言葉で伝えろ。
きっとこれは、暗に「電話しろ」と言っているのだと。
それに突き動かされるようにして利央は電話帳から準太の番号を呼び出すが、生憎とすぐさま行動することは出来なかった。
「利央、降りて来い。話すっからよ」
階下からはっきりと自分を呼ぶ硬質な兄の声。
ああ、タイムリミットかぁ、と肩を落とした利央は返事をしながら再び携帯をメール画面に切り替える。
『夕メシ食べたら電話すんね。もうちょっと待ってて』
恐らく家族から離れ、自室でスタンバイしてくれているだろう準太の姿に心の中で謝って、利央は立ち上がった。


窓の外はもう宵闇。
菫青石の深くみずみずしい藍色。
多分今夜の電話は、あのメールと同じように長くなる。
きっと眠りの直前まで、準太と話すことになる。

けれど、聞き続けるのは何よりも大切だと思える人の声だから。
安らかに、眠れると思う。
不器用なテノールの優しいやさしい子守唄。




あとがき


番外編も5作目になりました。お久しぶりの番外編です。
最近ずっと準太目線でのモノローグが多かったので、たまには利央編。
菫青石はアイオライトの和名です。夜空だとラピスラズリなのですが、宵闇だと菫青石のイメージ。
公式ではありませんが、宝石言葉が「祈り」だったりするのもあってタイトルに使ってしまいました。
利央みたいに真っ直ぐに気持ちを伝えられる人は、立派だと思います。
2009/05/06