*懐刀のパヴェ・メレダイヤ*


※「聖歌が胸奥に響く夜」で準太と利央についてあれこれ世話を焼いてる感じの、慎吾さんと迅の会話。
時間軸的には、準+慎・利+迅の場面の後。準さんの家に利央が再び泊まりに行っている日の慎吾さんと迅バージョンです。





いびつな氷がカラン、と軽い音を立てて透明なグラスの世界で崩れ散った。
丸みを帯びた氷は、そのまま焦茶色の液体の中に身を投げ、ぽっかりと寂しげにそのフォルムを浮き立たせる。

大学から徒歩5分、ロフト付きのワンルーム。
慎吾と迅、高校時代からのくされ縁である二人は、赤い顔を突き合わせて笑った。
小さなアルミテーブルには幾つもの空の酒缶が放り出されていて、二人がかなり酔っていることを物語る。
「…んでよ、そん時の準太の顔の情けねーこと」
「へぇ。そんなだったんですか。準さん、大丈夫ですかね?」
部活後、慎吾は迅に寮を抜け出させてアパートに誘った。
話題はそれぞれが昨日会ったばかりの、あの二人のことだ。
もう随分長い間付き合いのある二人を、慎吾も迅もずっと世話を焼いてきた。
そしてまた、ここ最近冴えないという準太と利央のコンビにちょっかいを出したのだ。
「一応、喝入れてやったから平気だと思うぜ。お前は? 利央はどうだった?」
「あいつは平気そうでしたよ。いつも通り、準さん大好きオーラ出しまくりで」
昨日会ったばかりの親友の姿を思い出したのだろうか。迅はふっと儚げに笑う。
赤く染まった頬が、少しだけ持ち上がって、その表情を緩めた。
「そりゃ良かった。準太がかなり参ってた感じだからな。利央が引っぱられないで助かったぜ」

「……でも、あいつ馬鹿ですよ」
手放しで喜んだ慎吾を見て、先ほどまで朗らかだった迅の表情が曇る。
何かに耐えるように、手中のグラスを握りしめていた。
「迅、どうした」
「いつまでたっても準さん、準さん。自分のこと考えなきゃイケネーのに。手術しないとイケネーのに」
思わず伸ばしかけた慎吾の手は、次の瞬間迅の発した一言で所在無さげに引っ込められた。
何だって、と整えられた眉が歪む。
「おい、迅。手術ってなんだ。利央、どっか悪いのか」
硬質な声は、酔っ払いのものではなかった。一瞬にしてその場の空気が凍りつく。
迅は慎吾の真剣な表情に、自分の失言をここで始めて意識する。
「慎吾さ……」
「迅、利央がどうしたって?」
しまった、と両手で口を覆った迅の顔から赤みがひいた。
酔っていた。誰にもバラすつもりはなかったのに、つい酒とこの雰囲気に隙をつかれた。
「言えよ。お前、何知ってんだ」
詰め寄られ、仕方なく口を開く。失敗したと、顔を伏せながら。
「……あいつ、高2の夏に腰壊してるんです。大学で野球してないのもそのせいで…」
「はぁ? 準太の奴、何も言わねーのか!」
「準さんは、知らなくて…。だから、オレも何でそんなに隠すんだ、って! 自分のこと何も考えてない、あいつ!」
年長者の前では比較的大人しい部類に入る迅が、突然声を荒げたので、詰め寄っていたはずの慎吾のほうが気圧された。
迅が苛立って己の膝を叩いた音が、フローリングの床にまで反響する。
「腰か。病気じゃねーんだな…」
何となく、急を要するものではないことを察したのだろう、慎吾の声に安堵の色が見えた。
長話の間にぬるくなってしまったグラスのアルコールを、一気に喉に流し込む。

暫くの沈黙の後、幾分冷静さを取り戻した迅が再び口を開いた。
「……何か、最近不安なんですよ」
「不安?」
慎吾が聞き返すと、迅は久方ぶりに視線を上げた。覚悟を決めるように手元のグラスをあおって、目の前の慎吾を見つめる。
「5月ぐらいだったかな。刑法の総論で、カルネアデスの板をやったんですよ」
何処かで聞いたような言葉だった。けれど、慎吾は思い出すことが出来なくて、軽く頷いて迅に話の先を促す。
「海難事故で船が難破して、男が一人、板にしがみついて助かった。けれどもう一人の人間がその板に一緒につかまろうとした。先に板にしがみ付いていた男は、この板は二人も支えきれないと思い、向かってくるもう一人を振りほどいて結果、その人間は死んでしまった。っていう話なんですけど」
「ああ、思い出した。でもそれって罪にはならないんだろ?」
アルコールが回っているにはしっかりした表情で、迅は頷いた。その目が一瞬、遠いものを見るように慎吾の顔から外される。
「で、刑法と法学の担当が同じ教授なんですけど、法学の授業で道徳と法の違いみたいなことをやったんですよね」
「…それで?」
「そこでその教授が、『人は道徳で死ねるんだ』って言って。半分寝ながら聞いた講義だったし最初は、はぁ?何だそれって思ってたんですけど」
緩んだ迅の瞳を見て、慎吾は彼の考えを読み取った。
その教授の言葉を理解するためには、自分達は共通の知り合い、その一人を思い出せば充分だ。
「確かに、そのお手本見たいな奴がすぐ思いつくよな」
「オレ、そんとき、利央なら板を明け渡しそうだな、って思ったんですよ。例えその場で譲らなくても、あいつはそのあと道徳に負けるだろうなって。……馬鹿すぎて、話にならない」
自嘲するように笑って、迅はテーブルに突っ伏した。狭いその上で、空になった缶がいくつか軽い音と共に転がる。

「慎吾さん、オレは準さんを尊敬してますよ。……だってあの人、色々あったのに結局利央のコト手放さなかったじゃないですか。なんだかんだ言って、ちゃんと支え続けてる」
声が眠たそうに落ちる。普段、変な所で真面目な迅はまだ一応未成年だからと酒を飲まない。
それでも、今日それを破ったのは、そうでもしないと口が重かったからだろう。
2つ年下。
まだ埋まらない精神年齢差を愛しげに眺めて、慎吾はその背中を優しく叩く。宥めるような手つきに、迅の心が震えた。
「でも、それが恐い。何度も何度も崖から利央を引き上げて、同じように自分も引き上げられて。その腕はもう、ボロボロなんじゃないかって。次に何かあったら、あの人はもう、利央に手を伸ばせないんじゃないかって」
不安を追い払うように、突っ伏したままの迅が何度もかぶりを振る。
垂れ下がっていた手が髪を無造作に掴んで、くしゃりと乱した。
「迅、大丈夫だ。準太も利央も、そんなに弱くない」
「だって、慎吾さん。和さんは…? 和さんは、結局野球に戻ってこなかった! あの人だって、弱くなんかないのに」
むくりと再び背を起こして、迅は慎吾に向き直った。
存外真剣な目に、慎吾も一瞬言葉を失う。けれどもそれもすぐに微笑みに変わる。
「なんだよ、お前ら知らないのか。和己のこと」
「え…っ?」
「なぁ、迅。和己の留学先が、どこだと思ってるんだ?」
静かな問いかけには、含み笑いがある。迅は必死に考えて、ようやく何かに辿り着いた。
「どこって…、アメリカ……」
「そう。大リーグの国だ。野球の国だぞ」
自分のボケた頭が恨めしい。慎吾にここまで言われなければ気づけないなんて。
歓喜の濁流に呑まれて、迅は崩れ落ちるように目元を覆った。
「どんなに小さな町にだって、ベースボールが息づいているような所に留学するような奴が、立ち直ってないなんて嘘だろ?」
崩れた迅を支えるように、慎吾が笑った。肩に添えられた手に重ねるように、迅も己の片手を添える。
「手紙もメールも、あいつ割りとよく寄越すぜ。俺や他の同級も詳しい話はしねーけど。大リーグの膝元で毎日楽しんでる奴が、野球が嫌いなワケねーよ」
こくこくと、何度も頷いた。ずっと気にしていたことだった。一瞬ですり抜けた、あの夏。ホームに後一歩届かなかった、自分の足。
走馬灯のように蘇える過去の虚像。
「準太も気づいてるはずだぜ。前にそういう話題になったから。あとで利央にも広めとけよ」

和己の話を聞いて、力が抜けたように再びテーブルに突っ伏してしまった迅を、慎吾は穏やかに見つめた。
かすかな涙の跡が、敷かれた腕の間から垣間見られる。
多分、この後輩もずっと心に気に掛けてきたんだろう。
ゴールの目の前。ゲームセットの審判コールを一番近くで聞いたのは、間違いなくこの後輩だった。
夢の終焉を、一番近くで体感した若いガゼル。その心は、もしかしたら自分達3年以上に打ち砕かれたのかもしれない。
(俺ら、そんなにヤワに思われてんのかねぇ……)
困ったように笑い、慎吾はもう半分以上眠りの世界に落ちている後輩に、そっと耳打ちする。
「迅、あいつらは大丈夫だ。終わりになんて、俺らがさせない。そうだろ? なぁ、ここまでとことん付き合ってやってきたんだ。もしそうなっても最後まで邪魔してやろうじゃねぇか」
もう睡魔に負けて動かない頭が、そっと揺れた気がする。
用意しておいた掛け布団が、そっと迅の肩に落ちた。慎吾とて、ここ最近の不穏な空気は感じ取っている。
不気味な、何ともいえない肌触りの雰囲気だ。
これが運命というものなのだろうか。


けれど、負けてやりはしない。
長い間培ってきた、見守り続けてきた間に育まれたこの気持ち。
妄信に近いような、信仰心と似ているといえなくもないような。
(あいつらが、関係を終わらせるなんて絶対ねぇよ……)
自らにも言い聞かせるように、慎吾は都会の空を仰いだ。

運命なんて、目にも見えないような曖昧なものにはあの二人を渡してやりはしない。
自分も、傍らで眠るこの後輩も、きっとそれを許さない。



――その相手が神ならば、自分達はどうしようもないのだろうか。

否。最後まで抵抗するだろう。
例えそれが、戦うとは言えないものでも。
足掻き続けるという惨めな行為であっても。




あとがき

同人誌番外編その3は、慎吾さんと迅の一幕となりました。
シリーズの二人は島迅ではなくて、準利見守り隊一号・二号みたいな感じです(笑)
慎吾さんなんかは、両方好きだって言ってますけどね。(でもそれが叶わないのまで受け入れてる)

意識した訳ではないのですが番外編のタイトルがここまで全て宝石関連だったので、今回もそれにあやかりました。
パヴェはフランス語で石畳を意味する宝飾用語。
その名の通り、小さな宝石(主にダイヤ)を敷き詰めるアクセサリーデザインのことです。
準さんと利央には味方が沢山いて、きっと二人は知らない間に色んな人に守られてるはず。
慎吾さんも迅も、そんなメレダイヤの一粒。小さいけれど、ダイヤはダイヤ。きっと強力な味方ですね。
2008/05/18