*二重の平行線*教室とはこんなに静かなものだったのか、と一人佇んだ準太は思った。 前方の黒板には、なんだか少し気取ったような担任の祝辞の言葉。 後ろのサブボードには委員長の書いた「forever friends!」の文字の周りに寄せ書き。 昼の高い太陽は良く晴れてくれて、今日という門出を祝ってくれている。 三月、卒業式。 ブルーグレイの制服に袖を通すのも今日が最後。 胸元についたままの花を視界の端に入れるとなんだか胸にこみ上げてくるものがあった。 けして感傷的なほうではないはずなのに。 がらんとした教室と、印象的な黒板の文章、外で膨らみ始めた木々の若芽が無理やりにそれを誘う。 「……準太、待たせたな」 目元に浮かび始めた水分を軽く指で拭ったところで、準太は呼ばれた。 「タケ……、ヒデェ格好だな」 証書の筒を肩にかけ、出入り口に立つ男を見て準太は笑った。 今日で見納め、晴れの日だというのによれた制服。 ボタンは無残にもむしられて、何とか死守したらしい黄色いネクタイも少しほころびていた。 彼の体で無事な部分といえば、引退しても丁寧に刈り込んでいた坊主頭だけだ。 「正門前でもまれたんだ。お前もはやくむしられて来い」 面白みもなく生真面目に返答した彼に「嫌だね」とうそぶく。 「利央と迅が大泣きして待ってたぞ。後輩にあんな姿見せて、まったく」 「ま、あいつららしいっちゃらしいよな」 動かない準太を見て、半年前まで主将を務めていた長身の男は諦めたように教室内へ足を踏み入れた。 僅かに傾き始めた日の光が、電気の落ちた室内で二人を照らす。 どちらの横顔もここを離れがたい、という哀愁を漂わせ、どこかぎこちない。 「……三年間、早かったよなー」 「ああ。でも、良かった」 良かった。 青木の短い、だが様々な深さを持った言葉が彼らの全てを表していた。 野球をするものにとって、特別だった、高校生活三年間。 叶った夢も、叶わない夢も、明日からは全部思い出に変わってしまう。 けれど『良かった』のだ、自分の、自分たちの三年間は、これで。 そう感じて準太も隣の彼同様、窓の外に視線を移して頷く。 良かった、そうきっぱりと答えた青木には、きっと心残りはないのだろう。 涙のあとも無い目元は、さすがチームを纏めてきた男の涼しさだ。 そんな青木を気配だけで意識し、でも、と準太は思い直す。 ――でも、自分には。 「なあ、タケ。俺、心残り、あんだよな」 「お前に?」 驚いたように、青木は準太に振り返る。 それは先ほど自分に同意した男に、まさかそんな。と言いたげな表情であった。 「……俺達、中学でも顔合わせたことなかったし、卒業したら多分これから先も、野球で係わることないだろ」 青木は首を縦に振るだけの相槌を打つ。 可能性はゼロではないけれど。でも多分、互いの進路を考えたらそうなるのだろう。 違うチームとしても、同じチームとしてならもっと。 「いっぺんさぁ、お前と対決したかったかな、って」 ――同じチームじゃなく、ただの打者と投手として。 もし、自分が彼に投げるような場面があったなら。 この桐青というチームではなかったのなら。 果たして、どんな対戦をしていただろうか、と思わずにはいられない。 打たれただろうか。 それとも、ゴロに打ち取れただろうか。 青木ほどのバッターにもし、三振なんてとれたなら……。 想像だけで胸が躍る。 そう語る準太は、紛れもなくピッチャーであった。 そして青木はそれに口元を崩す。 大人びた彼にしては無邪気な笑い方。 やはり彼も四番を務め上げた桐青一のバッターだから。 「いつかよ、お互いスゲー親父くさくなってさ、腹とかちょっとやばくなってて、筋肉とかナニソレっつー感じでさ、 そしたら……、勝負しようぜ、タケ」 「そんな先なら、実力分からないだろ。準太」 「いや、それがいいよ。そしたら勝っても負けても、お互いに笑ってられるし」 いよいよ鞄を背負いだした準太に習って、青木も寄りかかっていた机から離れる。 持っていた筒で、ぽん、と隣の投手の肩を突き、その背を追い越した。 「……かなわねーよ、きっとな」 「何でだよ」 「だってどうせお前は、和さんと組むんだろ。あの人にはかなわないからな」 「おいコラ、それは俺だけなら勝てるって言ってんのかよ」 「さあな」 軽口を言い合う二人の影が教室から消えた。 あれほど感傷にたなびいた空気は消え去って、どちらもその場所を振り返りはしなかった。 実現しなかった、対峙。 それが心残りだと呟いた準太。 けれど、二人とも答えを知ってる。 同じチームに入ったことが。 同じ学年でここに来た事が。 もう全て答えのはずだから。 交わらない平行線。 それはそれぞれが二重になっても同じこと。 唯一つ、『良かった』と語ったその事が彼らにとって全部なのだから。
準太とタケさん! 二年生組!
実際二人が対決してたら、と考えると凄く面白そうです。 でもきっとその可能性を否定できるくらい、『同じチーム』がいいのだと、 多分二人とも考えるかな……。 2010/06/02 |