*染み渡る慈雨のように*


※慎吾さん遊び人っぽい描写あり。ご注意。



地元から三駅ほど離れた夜の繁華街。
二ヶ月に一度、毅彦が定期的に訪れる整骨院は雑居ビルの3階に入っている。
煌びやかなネオンには不似合いな坊主頭の学生が、今ここにいるのはそんな理由からだった。

「じゃあな、タケちゃん! 春の大会も頑張りな!」
丁度閉院時間だからと、白髪交じりのヒゲを蓄えた院長は階下まで毅彦をわざわざ見送った。
練習着の詰まったスポーツ鞄を背負いなおし、毅彦はそれに丁寧に頭を下げる。
もう夜も遅い上、場所が場所なので院長も多少心配しているのだろう。

例えば、酔っ払いに絡まれて電車に乗り遅れるとか(結果はきっと駅前で補導)。
例えば、脅されて金を巻き上げられるとか。
……撃退する自信くらいはあるが、騒ぎになればまずいことは分かりきっている。
春大会までもうひと月半。
長い冬を終え、ようやく対外試合が解禁された。
来週には入学前の新一年も練習に加わり始め、こんな自分でも『先輩』になる。

(やっぱり、絡まれたら逃げる……か)

なるべく明るい大通りを歩くが、どうしても『狙っている』目をした輩は何人か目に付くもので。
せめて私服であればこうあからさまにはならないかもしれないけれど。

普段どおりのポーカーフェイスはそのままに、ため息をついた毅彦は、ふと目についた光景に足が止まる。
数人の若者グループ。
繁華街ならどこにでもいる存在だが、その中に見知った顔があったから。
(慎吾さん……)
スモークグラスで目元こそ印象が違うものの、昨年から一年のほとんど毎日顔を合わせていた先輩を見間違うはずはない。
自分たちよりは多少年上だろう少女に腕を絡まれ、ゲームセンター内へ連れられていく慎吾。
毅彦からは再びため息が漏れたものの、それは先程とは違う。落胆や心労のものではなかった。
軽い一息。
『本当に、あの人はしょうがない人だ』というようなニュアンス。

目にしたのは初めてだが、島崎慎吾という男にはこうした噂が常について回っている。
大丈夫なのか、と誰もが思うものの『酒も煙草もやってないし、健全に遊んでいる』という本人の言葉通り、やましい事は何もないらしい。
ただし、あの地獄の練習の後でよくもそういった欲が働くものだとは思うけれど。

再び足を進めだした毅彦に、まるで気付いていたように、ゲームセンターの入り口で慎吾は振り向いた。
口元に、緩やかな笑み。節だった男らしい指が一本、その口元の前に立てられる。
「秘密だぜ……?」
声に出さないまま、慎吾は呟いた。
それに毅彦も軽く微笑み返すだけでやり過ごし、駅へ向かう。
煌々と輝く月は、ひっそりと雲に姿を隠していた。



***


規則正しく足元に響く振動と共に、先程まで自分が歩いていたネオン街が夜の帳に紛れていく。
疲れきって居眠りするサラリーマンに黙って寄りかかられながら、毅彦は窓を叩くわずかな水滴を見つめていた。
天気予報通りの雨。
鞄の底に折りたたみの傘も入っているから、焦るようなことも無い。

パタパタと窓を叩く春先の細い雨。
その姿は、先程繁華街で見たあの人物を何故か重なる。

先週、一冬を越えてようやく行えた紅白戦。
そこで毅彦は桐青に入って初めてショートを任された。
内野で自分が最も好きなポジション。高い守備力と、難しい判断が求められるその場所を任されるのは、自分が成長した証だから。
けれど同日、その嬉しさを忘れるくらいの驚きが毅彦にはあった。
それがその隣のポジションに立ったセカンド、島崎慎吾という先輩の存在だった。
巧いことは知っていた。
それは周りから聞いていた事も、そして自分の目で見ても――。

でも、その巧さは隣に立って試合に出て、初めて味わえる次元のものだった。
打球がやってきた時のフォローの上手さ、そして瞬間的な飛び出しと、今いる状況を常に理解して裏を探る洞察眼。
どうしてこれだけ上手い人が、ずっと二塁手にいるのか、その時初めて疑問が解けた。
この人にはセカンドが天職なのだ。
どれだけ上手くても、他のポジションをあてがわれても。
ここ以上に彼を引き立てるポジションなど、きっとないだろう。


地元駅到着を告げるアナウンスに、毅彦は顔を上げる。
同時に隣のサラリーマンも、弾かれたように飛び起きて慌てて脇の鞄を抱えなおした。
扉を抜ければ、ちいさな冷たい雫がぽたりと頬を叩いた。

あの人は――…、そう、この春の細い慈雨のようだ。と、毅彦は思った。


まだ目覚めの季節の冷たい雫。
けれどそれは柔らかく、生きる全てのものへ注がれる、恵みの雨。
染み渡りながら全てを包み込む、祝福と始まり。

慈雨。








タケさんと慎吾さんの二遊間コンビでした。
タケさんはきっと守備の時、すげー慎吾さんを頼りにしてるんじゃないかと思って。
もちろん、慎吾さんも同様だとは思いますけどね!
あえて凄く仲がいいわけじゃないけど、試合中は名職人コンビという感じの二人でお願いします。

2011/01/26