*ひよこ*


春休みに連れてこられたのは、母親の実家がある北海道だった。
見渡す限りの直線道路。聞こえる馬のいななき、馬糞の臭い。
競走馬を生産する牧場に囲まれた、そんな場所。

「じーんー、ちょっと手伝って差し上げてー」
今日は朝から家族みんなでばたばたしてる。道北の春はまだまだ遠い。口から流れる白い息を目で追って、 俺は母親に指示されたとおり隣の牧場に走った。
「チワース! 隣からきたんスけど」
いつもの体育会系のノリで挨拶すると、並列した厩舎のうちのひとつから顔を出した牧場主の親父さんが俺に気付いて手を上げる。
「やあ、有難う。今日は朝から二頭も産気づいててねぇ。悪いんだけど鶏舎の方、行ってくれるかい?」
残り少ない髪を白髪に染めて、親父さんが丁寧に頭を下げてくれる。
鶏舎の手伝いはここ数日任されているところだったので勝手も分かっているし、快く頷いて俺はとっととそこへ走った。
雪解けでぐちゃぐちゃになったあぜ道を長靴が蹴る。跳ねた泥がズボンの裾を汚すけど、 普段から野球で泥だらけの自分にはあまり気になることでもない。

駆け足で数分。馬糞の臭いのかわりに鶏の鳴き声が聞こえてくると目的の場所はすぐだ。
鶏舎といっても、鶏の世話を直接するわけじゃない。
俺が用事を言いつけられたのは孵卵器のある離れの方。
孵卵器の中で数時間ごとに孵り続ける大量のヒヨコ達を巣代わりのダンボールへ移し変える作業と、転卵といって孵化する前の卵を一定時間ごとに くるくる廻してやる作業だ。
プレハブ造りの作業舎は暖房も効いて暖けぇし、手伝う事も簡単。
孵化に突然のトラブルもほとんど無いし、ヒヨコのピィピィという鳴き声さえ我慢すれば多分牧場内で一番楽な仕事のはずだ。

「スンマセン、代わります」
引き戸を開けて声をかける。うちの姉貴より少し年上の牧場の娘さんが振り返って「有難う」と礼を言った。
「父さんは馬のほう?」
「はい。二頭のお産が重なってるって言ってましたけど」
俺の言葉に娘さんは「あら、まあ」なんて驚いて足早に作業舎を出て行った。
交代で暖房ほど近くの椅子に座って孵卵器を覗く。
ひび割れの卵がいくつか。そのうちひとつはもうほとんど濡れた羽が見えていて、いまにも孵化しそうだった。
「おお、こいつもうすぐじゃね?」
そう呟いて、足元のデカイダンボールを見下ろす。
様子のおかしいヒナはいないし水も十分なので、こちらは問題ない。
転卵のチェック用紙に書かれた時間まではまだ時間がありそうだったので再び孵卵器に視線を戻すと、 その奥の棚に黒い影があるのを見つけた。
「あ、タンゴ。オマエこんなとこに入り込んでたのか」
タンゴというのはこの家の飼い猫。その名前から連想できるように黒い日本猫で、いつもどこかしら牧場内をうろついてる。
長年牧場で飼われているせいなのか、それとももともとの気性なのかはしらないが聞いた話だと鶏やヒヨコには慣れていて、こんな場所 にいても孵ったばかりのこいつらを襲う事も特にないらしい。

俺の声に反応したのか、棚の上で丸まっていたその黒猫は「ナァゴ」なんて喉を鳴らし、軽い身のこなしで棚から降りてきた。
そのまま俺の足元に擦り寄って、まるで母親みたいな顔でヒヨコたちが所狭しと体を寄せるダンボールの脇に腰を下ろす。
「なんだぁ、オマエ。ヒヨコ好きなの?」
喉を撫でてやると気持ちよさそうに目を閉じる。
窓からの木漏れ日に艶やかに光る黒い毛並み。そのすぐ傍で、ぼわぼわに膨れた黄色い羽色。
俺はどこかでそのコントラストを見た覚えがあった。
(……なんだっけ。光に透けるぼわぼわの――髪の毛?)
髪の毛、という単語が頭に浮かんで答えはすぐに導き出された。

準さんとと利央、だ。

黒と黄色っぽい褪せた色素の髪色。
しっとりと流れるような髪と、ふわふわで重力に逆らう髪。
それはまるで、自分の手元にいるこの二種類の動物の毛色と同じ色、同じ質感。

そして思い出す、先程の娘さんに自分が数日前言われた言葉。
『ねぇ迅くん、知ってる? ヒヨコってね、刷り込みがあるのよ』
『刷り込み、スか?』
『そう。インプリンティングっていってね、卵から孵ったあと始めて見た動くものを親と勘違いするの』
よく、人の後をついてあるくアヒルとかニュースになるでしょ?
いたずらっぽく微笑んだその人は、その後孵化したヒヨコを使ってそれを実証した。

「なんつーか、まんまアイツ、だよなー」
タンゴの背を撫でながら、笑みが零れる。
いつもいつも準さんの後を追いかけるアイツ。うざがられても邪険にされても「好きです、好きです」なんて。
そんな利央の姿にはいつも不憫だ、なんて同情する事もあるけれど。
刷り込みという現象を知った今はもう、ただただ面白い。

きっと利央は、生まれた瞬間に準さんを見つめたにちがいない。
だからあんなにいつもいつも彼の後を追うのだ。

「あ、ヤベ。なんかマジで笑えるんだけど」
止まりそうにない笑いに思わず口元を隠してしまう。
しかも、なんてタイミングのよい事かポケットに着信。ディスプレイにはまごうことなき友人の名前。
『じーんー、また準サンとケンカしちゃったんだけど! っていうかあの人ヒドイよ、ねぇ、ねぇ!』
開口一番、話す単語はやっぱりあの人の名前。
ホントにな、毎回毎回俺はオマエの相談屋じゃねぇっての。
つい二日前にもケンカしたばっかじゃねぇか、オマエ。

学習しないアホな友人。
ヒヨコそっくりの頭にはきっとヒヨコ並みの脳みそしか詰まってはいまい。
「いつもいつも、バカじゃねーの、オマエ。そろそろどんなこと言ったら準さんが怒るとか、学習しろよ」
ああけれど。
文句を言う割には自分でもこんな会話は嫌いじゃない。
この二人の仲を取り持つのも面倒くさいけれど。
でもなんだか甘やかしたくなるのだ、このバカな友人は。
ヒヨコみたいに手触りのいい頭をして。
馬鹿だな、なんてそれを力いっぱい叩くには自分の身長はイマイチ足りないけれど(腕がちゃんとはとどかねぇんだよなー)。
またその髪を見れるのが今はかなり楽しみになってきた。
(このネタ、面白そうだし、埼玉帰ったらからかってやろう)

「あ、生まれた」
電話片手に視線の先には顔を出した一羽のヒヨコ。
まだ濡れて湿った羽は友人の頭とは似てないけれど。
じきにきっと、彼の髪を連想させるそれになる。

春まだ遠い道北の雪解け日。
遠く離れた場所で彼とその想い人を連想させるものに出会う。
ああ、どうやらやはり、自分は彼らとは縁切れないらしい。

(しかたねぇな、もう少し仲介役も頑張るか!)

耳に残る、友人の声。その想い人の名前。
目に映る黄色と黒が印象的な、そんな休日だった。







あとがき

準利に対して一番の苦労人はきっと迅だろうなあと思います。
迅と利央の一年生コンビが本当に好き!
迅にはこれからも利央の親友でいて欲しいな、と。
2009/10/23