ネクタイが結べません
春。
うららかな陽射しがそこら中に満ちていて、全ての生き物の心を照らす季節だと、利央は思う。 お昼近いにも関わらずパジャマ姿でのんびりとベッドに寝そべり、漫画を読んでいた利央はふと東側の窓を見上げた。 真っ青な空にゆっくりと雲が流れている。 隣の家の木々が風に呼び起こされて、かすかに芽吹き始めた緑をそっと揺すっていた。 (キモチよさそう……) 明るい陽気に誘われ、利央は腰をあげる。 そのままカラカラと窓を全開にすれば、春の濃い新緑の匂いが部屋中に溢れた。 この地域一体がどこか浮かれているような雰囲気に、利央は今の自分の心とそっくりだと感じた。 10日前、小学校の卒業式の時にはまだまだ空は冬のそれに近かったけれど、今は違う。 晴れやかで希望に満ちた、春の空気。 そよそよと頬をくすぐる風が心地よくて、利央はそのまま伸びをする。 だらけた体が急に目覚めたようだった。 いい加減に着替えようと、くるりとその身を反転させた瞬間、訪問者を告げるチャイムの音が利央の耳に届き、利央は慌てる。 「お母さ――って、みんないないんだっけ」 思わず母親の名を呼びそうになるが、生憎と買い物に出かけてしまっている。 軽く髪を整えるだけにして、利央はバタバタと階段を駆け下りた。 「はいはーい!」 「宅配便です。仲沢――利央さん宛てですね」 まだ若い業者の男は、大きなダンボールを両手いっぱいに抱えていた。 「あ、オレです。置いてください」 玄関マットに置かれたダンボールを一瞬ちらりと見やって、利央は印鑑を持ちにリビングへと姿を隠す。 業者の男は利央がパジャマ姿なのもたいして気にせず、そっと額の汗を分厚い手袋で拭った。 「ども、有難うございました!」 伝票に印鑑を押して渡せば、男はこの春の陽気に似合いの笑顔で礼をして立ち去った。 残されたダンボールを、利央はしげしげと見つめる。 一体この巨大な包みは何だろう。 自分の名前で来ているにも関わらず覚えのないそれに、一瞬不信感が露わになったが送り主の欄を見た利央の目は途端に輝く。 「桐青…、中等部!」 弾けるように笑った利央は、自分の手いっぱいにもなるそのダンボールを何とか持ち上げた。 よろよろと危なっかしい足取りで、階段を昇ってゆく。 「おっ、もいーっ」 念願叶い、桐青中学入学が内定して早一ヵ月半。 恐らく、この包みの中には先日採寸を終えたばかりの入学用品一式が詰まっているはずだ。 小学校を卒業したばかりの利央にとって、このダンボールを運ぶことは大仕事ではあったが、何しろ待ち望んでいた物だ。 少しばかりの重さなど、幸せの重みだと思えばいい。 自室に戻った利央は、はやる気持ちを抑えながら包みを解いていった。 始めに取り出したのは、何といってもグレーの制服だ。 目の前に並べたそれを、利央は満面の笑みで眺める。 「着てみてもいいかなぁ…」 丁寧に畳まれた制服をビニールから取り出す。丹念にしつけられた糸を慎重にはさみで外して、まずワイシャツに袖を通してみた。 「おお、カッコイイー!」 成長を見越してやや袖余りに作られたそれだったが、利央は気にしていない様子で。 母親の部屋から拝借してきた姿見に映った己に感嘆の声をあげた。 続いてズボン、そして上着。 髪を軽く櫛で梳いてやれば、ひとつ成長した自分の姿がそこにある。 鼻歌でもその口から飛び出しそうなほど上機嫌になった利央は、最後に紺のネクタイをするりと手に取った。 そのまま卒業式でしたように端を絡めて結ぼうとするが、どうも上手くいかない。 見れば、鏡に映った結び目はよれよれでそこだけ酷く格好悪い。 むむむ、と唇を尖らせて解き、もう一度結んでみるが結果は同じだった。 「もー、なんでできないわけェ!」 先ほどまでのいい気分はすっかり何処かへ飛んでいってしまった。 残ったのはただイライラする心と、新品のはずなのによれてしまった一本のネクタイ。 それには間違いなく憧れの桐青中学のロゴが刺繍されている。 まるでおあずけをされている犬のように、鏡の中の利央はぶすりと不機嫌に視線を尖らせた。 「うわ、なんだこの部屋」 自分以外いないはずの部屋に突然人の声がして、利央は驚いてそちらを振り向く。 ドアの向こうには、見慣れた幼馴染が顔をしかめてこちらを覗き見ていた。 「準、ちゃん」 「散らかしてんなよなー。あ、制服届いたのか…」 向かい合った利央の姿に、一瞬準太の胸が躍った。 自分のいる中学に利央が受かっていたのは知っているが、いざ制服姿で目の前に立たれると何ともいえない感慨深さがある。 見慣れたはずの幼馴染がまったく知らない人物のようで、少しだけ息を呑んだ。 「準ちゃーんっ」 「げ、なんだコラ。引っ付くなって。それに、もう俺先輩だぞ!」 準太の姿を視界に入れた利央は、ダンボールとビニールの数々を乗り越えて彼の腹部にダイブした。 そのまま幾分涙に濡れた顔を胸に摺り寄せられて、準太は思わず肩を掴んで引き剥がそうと苦心する。 それでも、子供の馬鹿力は結構すごいもので。彼がいくら頑張っても利央は離れようとしない。 「ネクタイが、結べないんだよォ…」 ズビズビと鼻を啜りながら自分の胸で項垂れる利央の言葉に、準太が視線を落とす。 なるほど確かに、利央が一人で格闘したと思われるそれは不恰好のまま首から垂れ下がっていた。 「お前、もう中学生なんだからそんなことで泣いてんなよ」 軽いため息をついて、準太は利央の首からそれをしゅるりと抜き取った。 せっかくの新品が、しわになってしまっている。きっと利央は後でキレイ好きな彼の母親に叱られることだろう。 けれど、確かに去年、自分も同じことをした。 真新しい制服に胸を躍らせて、届いたその日に袖を通す。その行為が目の前の利央の様子と重なって、口元が緩んだ。 「やってやるから、鏡の前。ちゃんと覚えろよ」 「うん!」 いつもならちょっとばかりいじり倒してやるところだが、今日くらいは勘弁してやろう。卒業祝いと入学祝だ。 準太はそんなことを心に思いながら、利央の背を押して二人で鏡の前へと陣取った。 背後から首筋に手を当てて、それをゆっくり結び始める。 時折首もとを掠める準太の手がくすぐったいのか身をよじった利央だが、準太がしっかり見ていろ、と注意すれば視線を鏡に戻す。 「ほい、完成。まあ馬子にも衣装って感じだなー」 「すげぇ、カッコイイー。準ちゃん、アリガトウ!」 自分の嫌味すら耳に入っていない利央に、準太は苦笑する。 制服ひとつでここまで浮かれる奴も珍しい。 「準太、先・輩・だ!」 振り返った額を小突かれて、利央は嫌そうな顔をする。 けれど、あと二週間もすれば確かに目の前の幼馴染は先輩に違いない。 部活も同じものになるはずだから、それは絶対で。 「アリガトウゴザイマス、準サン…」 しぶしぶといった様子で訂正した利央に、準太はよし、と頷く。 ついでに垂れ下がってしまった頭を撫でてやれば、その機嫌は一気に上昇して飛び切りの笑顔を準太に見せた。 まるで、この春の日差しのような温かな笑い顔。 胸に湧き上がる気持ちが抑えられなくて、準太が思わずその頭を抱いた。 自分とはまるきり違う色素の瞳と一瞬だけ視線を絡ませて、そのまま唇に触れるだけのキス。 「…なに、準サン」 放心したように自分の名前を呼んだ利央に、準太は微笑んでやるだけの返事をする。 その顔に、利央が見とれているのを感じながら。 「お前が入学してくるの、楽しみにしてるからな」 「う、うん…」 未だ焦点の定まらない目をしながら、利央は頷く。 それに満足した準太が笑ったところで、階下から利央の母親の声がした。 「ほら、親帰ってきたぞ」 準太がアゴをしゃくってドアを示せば、利央は促されるままそちらへ歩き出した。 その背を見送って、準太は不敵に笑う。 (入学してきたら絶対惚れさせて、告らせてやるからな、利央) もう半分以上は成功しているであろうその計画に、準太は目を細める。 自分が幼馴染を見る目が変わったのは一体いつ頃からだっただろう。 もう随分前のような気がする。 あの時から押さえ込んできた気持ちを、今度こそ我慢するつもりは無い。 中学生になった彼に、遠慮は要らないだろうから。 それでもまだまだ子供な幼馴染を笑って、準太はもう一度不敵に頬を緩ませた。 あとがき
準さんと利央と和さんが幼馴染だったら…、と思い勝手に幼馴染設定。
ついでに中等部はネクタイの色が違えばいいと思いつつ、捏造。 黒い準さんが利央を苛めるのがマイブームかもしれません(笑) 2008/01/06 |