くろい


「ちょっと!なんで起こしてくんないのォ!!」
冬の快晴。澄んだ水色の空に、仲沢家から甲高い少年の悲鳴が跳ね上がった。
声の主は、仲沢利央。
伸びやかな肢体とほわんほわんの色素の薄い髪、不思議な魅力を携えた瞳を持つ、仲沢家の次男である。

「うるっせぇな!何度も起こしただろうが。何でテメーはいつも何しても起きねぇんだよ!」
地に響くような硬質な声がその後を追う。その声に似合いの鋭い瞳を持つ、兄の呂佳だった。
「知んないし!遅刻するじゃんっ」
「うるせー!自業自得だろ!」
悲鳴と共にバタバタと階段を下り、キッチンでため息をつく母親から無理やりクロワッサンで作られた卵サンドを奪った。
左肩には野球部指定のスポーツバッグ。履きなれた運動靴をひっかけるだけひっかけて卵サンドを口に銜えたまま自転車を押し出す。


最悪だった。
びゅんびゅん走る自転車がきる真冬の風が冷たい。
冬の早起きというものは、自分みたいな人間にとってなにより難しいと思う。
(昨日10時には寝たのにぃっ……!)
8時間半もたっぷり眠ったはずなのに、どうして器用に起きられないのだろう。
喉に張り付いたパンの欠片をなんとか嚥下し、利央は必死に自転車を漕いだ。
もしも今日、練習に遅れたら休日練習の遅刻は3回目。
そりゃあもう、鬼のように怒った監督からどんな無理難題を押し付けられるか、想像するのは容易い。
「あーとーごーふーんーっ!」
がしゃんがしゃん。
足を回す度、籠に入れる暇の無かった鞄が自分の太ももや自転車のボディに当たり、耳障りな金属音を撒き散らす。
朝っぱらから近所迷惑ごめんなさいと、内心思いながらそれでも利央はスピードを緩められない。



「あ!」
坂道を登ればグラウンド。そんなとき、彼の視界に見知った人物の姿が映る。
「……じゅん、さぁーん!」
「おー、なんだお前、寝坊かよ」
自分と同じように足はせわしないまま、けれど口調は穏やかに準太は利央を横に並ばせる。
「じゅ、さんこそ…め、しいじゃん」
坂の頂。息を荒げながら、利央は準太の姿をを横目で追う。
絶対今の駆け上がりタイムは過去最高のものが出たと思いながら。
「俺は信号機の不備で電車動いてなかったんだよ。監督にも連絡済みだし」
「そ…、じゃ、オレさき、行く…ねっ」
くだりのスピードを利用しながら、利央はグラウンドの端にある駐輪場に向けて車体を傾けた。
キレイな弧を描き、プロ並に上手くドリフトした利央を、準太が後ろで感心したように眺める。
「……さすが冬練の遅刻魔。鍛えられた技だな。……って、あれ?」
そんな呟きを耳に入れる暇もなく、利央は自転車を投げ出して視界から消えた。
利央の後姿に準太は一瞬何か違和感を感じたが、何かは分からずそれはそこですぐに立ち消えてしまう。
残り二分。
まぁ、全力で走ればなんとか間に合うんじゃないか。携帯の時刻を見ながら準太は頷いた。
(俺も走るか……)
必死で走って行った後輩に触発され、その後を追う。
途中、ちょうど控え室から出てきた監督に出会ったので、少しだけ…ほんの少しだけ時間稼ぎをしてやりながら。



***


葉の落ちた木々が寂しげな風貌を漂わせる中、部室内はそれとは対照的に春を思わせる賑やかさだった。
数日振りにボールを使用した練習を行い終わり、皆どこか嬉しそうな表情をしている。
「利央、お前まーた寝坊したんだろ。馬鹿じゃねーの」
「うっさいなぁ、迅。だって朝寒いから起きれないんだもん」
「そうゆうの、根性がねぇって言うんだぞー」
いつものように隣り合ったロッカー前。着替え終えた一年生コンビが皮肉を言い合う。
結局、ギリギリ時間内に間に合った利央は、その呼吸の乱れこそ怪しまれたものの無事に通常練習に混ざることが出来た。
本当に、ばれなくって良かった。
無事に終わった練習時間に利央が安堵しているとき、背後に誰かが立つ気配。
「あれ、準サンお疲れさま。……どしたの?」
アンダーを変え終えた準太が、やけに神妙そうな顔を作っている。
そのあまりに真剣な顔に、利央の胸はどきりと高鳴った。
(な、なんかいつもとちがくない?準サン)
「あの……?」
無言のままの準太を怪しんで利央がその肩に手を伸ばしかけたとき、ぶふーっ、と散々聞きなれた空気音が部室内に響いた。
(な、なにっ!)
慌てて腕が引っ込み、腹を抱えて笑い出した準太をまじまじと見下ろす。


「ひっ、おま……ぶはっ!」
口元に手を当てた準太は、必死に何かを伝えようとしている。
不思議に首をかしげながら利央は隣の迅へ視線で訴えるが、迅も分からないというように首を振る。
けれど、利央が再び準太の方を振り向いた瞬間、今度は背後で迅の笑い声。
次いで今しがたまで様子を見ていた周りの部員達全員が、利央を指差したままどっと笑い出した。
「ちょ…、なんなんスかぁ!!」
ひぃひぃ笑う転げる準太を無理やり起こし、利央が睨む。
頬を膨らませた準太は、なんとか震える指で利央の頭を指し示した。
「か、鏡っ…おま、サイコー」
鏡という単語をかすかに聞き取って、利央は慌てて迅のロッカーを覗き込む。
彼の手荷物にそれがあることを知っていたからだ。
「なんかついて……って、あーっ!!」
頭頂部からやや後ろ。しっかりと結ばれた黄色いリボンが自分の明るい色の髪の毛を彩っている。
(オ、オレ…今日ずっと……っ?)
ようやく部員の笑う意味に気づいた利央は、耳まで真っ赤にしてその場にずるずると座り込んだ。
目に笑い涙を溜めた準太は、それに付き合いそっと膝を折る。
「お前、どうせ寝坊して朝鏡なんか見なかったんだろ。……んで、呂佳さんに怒鳴られて?」
「……うーっ、兄ちゃんのばかばかばか!」
準太の言葉で、利央にもようやく犯人が分かった。
やる。あの人物なら確実に本気でこんなことをする。

膝に顔を埋め、利央は首を振った。
なんてキツイ制裁だろう。いくら寝坊常習犯だとしても、こんな仕置きはヒドイ。
「みんなもみんなで!なんで言ってくれないワケェ!」
恥ずかしさと悔しさで思わず涙が浮かんでしまう。
うるんだ瞳で周りを見渡せば、利央を中心に半円になったチームメイトたちはニヤリと冷たい笑みを浮かべた。
「だって、準太がさー」
「そうそう、いい薬だからって」
「俺たちはちゃんと言ったんだぜ?可哀想じゃねーのって」
「でも、監督も見ないふりだったしな?」
誰も反省していない。
「ヒドイ!サイテー!ばかばかばか!」
「どうでもいいけど。いい加減とった方がよくね?」
しゅるりと準太の手によって、悪の根源はようやく排除された。
未だうーうー、と唸る利央の、寝癖で暴発した頭を撫でて準太はふっと笑う。
「もう寝坊すんなよなー」
その笑い方といったら。
窓から差し込んできた光が後光のように輝いていた。
黒いキレイな髪のキューティクルが艶めいて、その色を何よりも際立たせる。
(キレーな黒。目も髪も……ほんでちょっと腹のナカも。準サンの色だ)
困ったように柔らかく微笑む準太が珍しくて、利央の怒りは急激に鎮火する。
(……っ!こーゆうカオされたら、怒れないじゃんっ)
こんなところまで、もしかしたら計算なのかもしれない。
一方、呆けた様子の利央を見下ろし、準太はもう一度笑った。

ほら、あれだ。
好きな奴ほど苛めたいって、よく言うあれ。
オマケに、この可愛い後輩は耐えるような泣き顔が何よりも似合ってしまうから。
なおさらに、苛めて泣かせたくなる。


(俺は別に腹黒なんかじゃない。でも利央、お前に対してだけは、別にそれでも構わねーよ?)


目を細めた準太の表情に、利央はそんな意思を読み取って肩を落とした。
やっぱりこの人サイアクだ、と。





あとがき

公衆の面前で何やってるんだ、この子達。
利央は部のみんなにいじられてたらいいと思います(特に先輩に)。
利央の泣き顔が最高なのはきっと言うまでも無いだろうから(笑)
2009/01/05