*紺小夜、雪月花*


みぞれの混ざった寒厳の雨が、闇の紫紺から音を奪って逃げていく。
淡い蜜柑色の電球が作り出す光だけは優しく、その小さな部屋の寝具周りを照らしていた。

「……いい加減、こっち向けっつーの」

ベッド上の毛布ダルマに向かい、脇に腰掛けた準太はイラついた様子で声を絞る。
カーテンの向こうから聞こえる雨音に呼応するように、布団の山から微かな嗚咽と鼻をすする音。
枕から零れ落ちる色素の薄い髪を睨みつけ、準太はもう何度目か分からないため息をついた。

背中に微かに触れる利央の体は熱い。
昨日から降り始めた冷たい雨に打たれて風邪を引いたからだ。
そんなに泣いてたら、余計に頭に響いて具合も悪くなるだろうに。
風邪なんて、ひいたもんは仕方がない。
準太はそれをよく分かっている。
もちろん、体が資本の体育会系だし、体調を管理できない事には批判の声もあるかもしれないけれど。
本当にひいたら仕方がないじゃないか。

「利央、そんな布団頭っからかぶってると窒息すんぞ」
そんなこと、利央だって知っている。
だから本当ならゆっくり休んで、一日でも早く全快すればいいだけのこと。
そして次回以降、もっと気をつけて過ごせばいい。
でも……。

利央がそれでも鼻をすするには、もちろんそれだけの理由があった。
今日は2月2日。
大事な人の、大事な日。
もう何日も前から楽しみにしてきた。部活帰り、最近出来た洒落た洋食屋で夕飯を一緒に食べようと。
帰りには遅くまでやっている雑貨店にでも寄って、何か準太の気に入ったものをプレゼントすると。
そうして夜は利央の家に泊まって、彼の母が作ったケーキでも夜食にしてゆっくり話でもするのだと。

部を準太たち3年が引退して半年あまり。
すれ違う日も多くなって、3年が自由登校になった年明けからはそれがなおさらで。
大切に大切に、首を長くして待っていた日だったのに。


――ずびっ。


静かな部屋に、再び鼻をすする音。
固く入り口を閉じた毛布とシーツの隙間は簡単には開きそうもない。
さて、どうするか。
迅から学校で事情を聞き、見舞いに利央の家を訪れて既に数時間。
もう何度も繰り返した押し問答を思い出し、さすがの準太の心も折れそうになる。

暫くの沈黙。
それを破って最初に聞こえたのは、僅かな衣擦れの音だった。
そしてベッドのスプリングが柔らかく軋み、一瞬迷うようにさまよった準太の手がそっと布団の中の利央に触れた。
毛布の下の細い体が、電気が走ったように強張る。
それをまるきり無視して、準太は壁を向いている利央の背中を抱くようにして自分の胸をしっかりと押し付けた。

ぎゅう、と腕の中で利央がさらに体を丸めたのが伝わる。
「利央、寒いから俺も布団の中入れろ」
低く、耳元に囁かれる言葉。
泣きはらした利央の瞳は、その言葉にはっと見開かれる。
毛布越しに伝わる準太の体。やけにはっきりと伝わる体温。まさか。
「……じゅ…っ!」
目元だけを僅かに毛布から出して、苦しい体勢で振り返る。
そこには、上半身裸のまま自分を抱きかかえる彼がいた。
いくら暖房が入っているとはいえ、そんな格好になるなんて信じられない。
慌てた利央が思わず毛布を持ち上げれば、その一瞬の隙を逃さないのが準太だ。
あっという間に利央はひっくり返され、頭から腰元まで絡まるように準太の長い腕が今度はじかに彼を包む。

「お前、もっと早く入れろっつーの。俺、今週末も入試あんのに風邪ひいたらどうすんだよ」
「……そんなの!! オレと一緒の布団入ったらもっとじゃん!」
目の前にある準太の鎖骨を押し返そうと利央は腕に力を入れる。
だが、発熱した体はいつもの半分も力は出せなくて、それどころか先程まで泣いてガンガン痛む頭がさらに気分を悪くした。
「お前、言っただろ?」
「なに……?」
「俺が気に入ったもの、くれんだって」
「それは……、でも、こんなじゃプレゼント買いにいけないじゃん」
未だ僅かに抵抗している利央のつむじの上で、準太はくすぐったそうに笑う。
「いらねぇよ。どうせ買えねーし」
「なにそれェ?」

頭の上にハテナマークを浮かべる利央を余所に、準太の笑いは止まらない。
「ま、とりあえず風邪早く治せってこと」
ぎゅうっと力いっぱい抱きしめれば、観念したのか腕の中の後輩は大人しくなった。
それに子供をあやすようによしよしと頭を撫で、長い間そのままでいた。



わかってんだよ、利央。
ベソかいて泣くくらい、お前が俺の誕生日を大切に想ってくれてた事。
風邪うつさねぇように、直接じゃなくてわざわざ迅に言付けを頼んだ事。
それでもその言葉を無視して見舞いに来た俺を、追い返す事も出来なくて、でも風邪菌撒き散らさねぇように布団かぶってた事。

だからお前が欲しい。
気に入ったもの、プレゼントにしてくれんだろ。
だったら……、俺は今、お前を抱きしめて眠りたい。
大事な大事な、特別な日だから。
大切な大切な、ヤツだから。




窓の外は雪に変わった雨の音。
雲間から少しだけ顔を出した月。
腕の中には――愛しい花。




あとがき

珍しく糖度高めでお送りします、久しぶりの更新です。 いつぞやは準さんが風邪を引きつつ利央をお祝いしていたので、今回は逆バージョン。 準さんはよく怒らずに頑張りました(笑) お誕生日を迎えてちゃんとオトナになったわけですね! とにかくおめでとう! 2010/02/02