*紡ぐ華詩は宵闇に消えて*白い長テーブルを蛍光灯が煌々と照らしていた。 ビーンズ、クッキー、個包装された輸入物のチョコレート。 甘いもの好きな母親が常備しているそれらを端に分けるように、ひょろ長い体がそこに割り入った。 広いキッチンの中央に置かれたそのテーブルにひじを付き、利央は祈るように携帯を握り締める。 待ち望んでいるのはシルバーブラックの携帯からの着信音。 流行の洋楽バンドのそのメロディを、早く鳴らして欲しい。 2週間ぶりに会う事になっている人物の顔を思い浮かべて、利央はもう一度両手に力を入れた。 真冬の夕暮れ時、室内でも暖房器具のスイッチを切られた部屋は寒い。 にもかかわらず、利央が震えずにいられるのは彼が分厚いキルトのブルゾンを着込んでいるからだ。 それだけではない。 その背中には、小ぶりのリュックを背負い、クセっ毛を押さえるようにグレーのニット帽が目深に被られている。 そして傍らに、オレンジのランチョンマットを被せられた大ぶりのバスケット。 連絡さえもらえればいつでも飛び出すことのできる、そんな臨戦態勢だった。 握り締めた携帯は自分の手のひらの体温で温まっている。 それを何ともなしに眺めていた利央は、いつの間にか辺りの音が消えていることに気が付いた。 まさか、と思って視線を左の窓に移す。 勝手口の曇りガラスの向こうでは、白いシルエットが一面を覆っていた。 冬の風物詩、雪。 汚れのないその色を目に映した利央の胸がほんのりと高まる。 まるで子供のように眩しい笑顔を浮かべた彼は、握り締めていた携帯電話を懐にしまって勝手口に近づく。 冷えた金属の取っ手に指を絡めて押し開けば、一面の銀世界がそこにあった。 一体いつの間に降り出したのだろうか。自分が中学から帰ってきた際にはまったくその気配は無かったのに……。 「スゲェ、キレイだ…」 鉛色の重たい空を仰ぎ見て、利央が感嘆の声を上げる。 大粒のボタン雪は辺りの音を優しく吸い取って神秘的な静寂を作り出し、 その雪と同じ色に変化した利央の吐息が鋭利な空気に溶け出す様は、美しすぎておもわず頬がにやけてしまうほど。 「準サン、大丈夫かな……」 この景色が何よりも似合いそうな人物を思い出して、利央が心配そうに首を傾げた。 部活動が緩い中等部とは違って、高等部では今日も厳しい練習が行われているはずだ。 もちろん、この雪の中練習するような無茶は監督も学校側も許さないだろうけど、帰り道はきっと雪でぐちゃぐちゃじゃあないだろうか。 ちらりと左腕に嵌められた時計を確認して、利央はそのままバスケットを手に玄関へ向かった。 やっぱり、大人しく待っているのは苦手だ。 好きな人が自分の目の届かない所にいると、途端に不安になる。 そんなことを悪友の迅に漏らせば、やっぱりオマエ犬だな、と笑われてしまった。 (オレが犬なら、さしずめ準サンはご主人様なのかな…) スニーカーの紐を固めに結びながら、利央は考える。 そうかもしれない。 想いが一方通行とは言わないけれど、きっと絶対自分の方が準太のことを好きだ。 そして先輩後輩の関係を抜きにしても、絶対自分の方が力関係は下。 (好きだから敵わないんじゃなくって、最初から準サンのほうが間違いなく上手だし) 玄関のドアを開けてビニール傘を広げ、もう一度空を見る。 気のせいではなく先程よりも雪の勢いが増していた。 膨大な数の雪が視界に入って、心なしか風も吹いている。何だかちょっと、危ない気もする。 「…うわー、電車とか、動かなくなりそう」 頬に吹き付ける風の冷たさに、利央は一瞬の戸惑いを覚えたが、意を決してその雪の中に身を投じた。 バスケットを腕に通し、鍵を掛ける。 今夜は夜遅くまで家族は帰ってこないから、掛け忘れれば大変だ。 もっとも、この大雪の中ドロボウもそうそう仕事をするとは思えないけれど。 「さ、寒い…」 準太の家まで道のりはあと少し。 未だに連絡の無い携帯を多少恨めしく思いながら、利央は身を縮こませる。 せめてマフラーでも持ってきていれば。 日の落ちてしまった住宅街は、この雪のせいで人気がまったく無い。 薄明るく点けられた街灯のわずかな光が道を示してくれるけれど、利央は心細さに項垂れた。 ――そんなとき。 静かな路地に突然メロディが響いた。 それは間違いなく自分の聞き慣れた着信音で、利央はかじかんだ手で慌てて通話ボタンを押す。 「もしもし、利央?」 名を呼んだのは、間違いなく今一番会いたい人。 心地よく脳髄の奥を振るわせるテノールの音に、利央の胸が震える。 「準サン、遅いよォ!!」 携帯電話の通話口に向かって思い切り叫べば、準太は「うるさい」と不機嫌モード。 仕方なく黙り込んだ利央の耳には、なおさら彼を気落ちさせるような事実が告げられて、 利央は思わず持っていたバスケットを道に落としそうになった。 「あー、雪、凄いな?」 「うん。いつからこんなに降りだしたんだろ…」 「だからな、お前今日来なくていいぞ」 一瞬、利央は自分の耳を疑った。 ありえない。この人は、今何と言ったのだろうか。 「来なくていいって…。だって準サン誕生日じゃん」 「だから、雪凄すぎるんだっつの!」 「だって…、会うの2週間ぶりじゃん」 寒さと衝撃とで、声が震える。立ち止まってしまった為に、足先から底冷えする冷たさが利央の体を襲った。 「……疲れてるし、メンドクセーし、雪止むだろうから明日でもいいだろ」 準太の声もバツが悪そうに多少は沈んでいる。 けれども、利央は収まりが付かなかった。 「ヒドイ、準サン。オレ、楽しみにしてたのに」 目頭が熱くなっているのが分かる。すれ違うことの多かったこの一年。 それでも、何とか耐えてこられたのは準太も我慢してくれていると思っていたから。 それなのに……。 利央の声が消え入りそうになって、準太は気付く。 電話の向こうから、かすかな車のクラクションが聞こえてくることに。 「利央、お前いま家にいるんじゃねーの?」 「……準サン家、向かってる。でもいい。帰るから」 突き放すような利央の言葉に、準太が慌てた。 てっきりまだ連絡していないから、家にいると思っていた。 けれども、彼は既にこちらへ向かっていたのだ。 ――この、見ただけで出かける気をなくさせる、大雪の中を。 「待て、利央。それを早く言えよ!」 「…だって、準サン疲れてるって」 「拗ねるな! 早く来い。寒いだろ?」 早く来い。そのたった一言に、利央の心が揺れた。 「うん……」 返事と共に、電話が切られる。 怒らせただろうか。こんなことで子供のようにへそを曲げて。 今日は彼が主役の日だと言うのに、不機嫌にさせてしまったのなら気分が沈む。 けれど、分かって欲しかった。 自分がどれだけ今日を楽しみにしていたのかを。 会いたくても会えない、そんな不自由を強いられたこの一年がとても辛かったから。 角を曲がれば、もう準太の家はすぐそこだ。 吹雪く雪で多少湿ってしまったバスケットのマットの位置を直して、利央は足を進めた。 「利央!」 雪が傘にぶつかる乾いた音に混ざって、準太の呼ぶ声がした。 顔を上げると、息を切らせて自分を出迎えてくれる彼の姿。 上着の前開けが乱れていて、急いで家を飛び出してきてくれたのが分かる。 それに、利央は笑った。 (良かった。ちゃんと準サンも会いたかったんだ) 「お誕生日、オメデトー。準サン」 「……おう」 意外にも利央の機嫌は直っていて、準太は一瞬驚いた顔をする。 けれど、それもわずかで、利央のめいっぱいの笑顔につられるように笑った。 「寒いから、早く入れ」 二人でブルリと身をよじり、準太の家のドアをくぐる。 一歩中に入っただけだというのに、随分と温かかった。 暖房の効いた準太の部屋で、上着を脱いだ利央は彼の正面に座らされた。 目の前の準太はいつもの意地の悪い笑みを浮かべてそこにいる。 (やっぱ…り。怒らせた、よね…) 後輩を苛めるときの、お得意の顔だ。 案の定、まだ冷たいままの頬を摘まれて利央の顔が歪む。 「このアホ! なにこんな遭難しそうな雪道を歩いてきてんだよ!」 「いひゃい、いひゃい! ひゅんサン、いひゃいってェ!」 摘まれたまま準太の方に引き寄せられた頬が、悲鳴をあげている。 涙ながらに利央が訴えると、準太はようやくその手を離した。 「風邪ひくだろ、どあほう」 「だって、会いたかったんだって。準サンは、違うんスか?」 利央の言葉に、準太の眉が寄せられる。それとともに、下ろされたばかりの手が再び持ち上げられ、利央は目を瞑った。 (ヤバイ、またほっぺたつねられる…!!) けれど、その衝撃はいくら待ってもやってこない。 かわりに、温かな準太の指先がそっと頬を撫でた。 「冷てぇんだよ、アホ。無理してこなくても…良かったのに」 瞳を開けた利央の前には、準太の切なそうな顔があった。 その顔に、利央はやっと、彼の真意を知る。 準太は今日、利央の家に誰もいないのを知っている。 だから、この雪の中を歩いてくることになる自分を心配したのだ。 会いたいけれど、負担を掛けさせたくない。 準太の触れた指先から彼の気持ちが伝わってくるようで、利央は破顔した。 スンマセン、と呟きそうになって、口をつぐむ。 今日はお祝いだ。暗い言葉は似合わない。 「これ、うちの母親から、シフォンケーキ」 話題をそらすように、利央は傍らからバスケットを差し出す。 準太も、利央のその意図に気付いてくれたようで、頬を探っていた指をゆっくりと下げた。 「お前のトコ、料理得意でいいよな。うちなんか、いつもレトルトだったり買ってきたやつだったり…」 「でも、おばさんパートじゃなくってフルタイムの仕事でしょ? 仕方ないよ」 まぁな、と返事をしつつ準太はバスケットを確認する。 こんがりと焼きあがったそれは香ばしい香りを発していて、美味そう、と笑う。 「ほんで、お前のは?」 「え? あー…、はい」 リュックを探って、利央が包装された小さな箱を取り出す。 どこか自信なさげな様子に、準太は首を傾げた。 ブルーと白のストライプのリボンを丁寧に外して、中身を取り出す。 ガラス細工で造られた、キレイなコーンフラワーのペーパーウエイトだった。 確かに凝った造りのそれはキレイだったが、おおよそ男子高校生が好んで使うものではない。 それが思わず表情に出てしまっただろうか。 準太の前で、利央が肩を落とした。 「スンマセン、なんか、こんなんで」 「いや、いーけど。なんでこれなんだ?」 家族や友人の手前置き場所には多少困るが、色は深いブルーだし、雑多な机の上であればそれほど目立たない。 見た目は美しいものだし、貰って嫌だとまでは思わなかった。 「…駅ビルで、これ見つけたとき、なんか目にとまって」 「ああ、まぁ綺麗だよな?」 「ずっと見ていたくて。眺めてたら、時間忘れてて」 それでか?、と準太は思う。つまり自分がそんなに気に入ったから、贈ってきたのだろうか。 「何でかな、って思ったら、その花、準サンに似てるって気付いて」 うつむき加減の利央の耳が赤いのが分かる。 準太はその時ああ、と頷いた。同時に、自分の顔も利央と同じように火照ってゆくのに気付く。 「冬に凛と咲く、透明な花びらがそっくりだって」 「…ほんで、だから目を奪われたって?」 意地悪く聞いてやれば、利央が頷くだけの返事をする。 ああ、なんて可愛い後輩だろう。 準さん、準さん、準さん――。 いつも自分に夢中で、子犬のように追いかけてきた利央。 今日だって、大人しく家で自分からの連絡を待っていればいいのに、我慢できずに自分のもとへやってきた。 なまじ利央の見た目がいいだけに余計その効果は高いけれど。 こんなに純粋なやつに懐かれて想われて、嬉しくない人間がいたら是非お目にかかってみたい。 いまだ俯いたままの利央のニット帽をすっぽりと脱がし、準太はそのクセっ毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。 ついでに、一歩前に進み出て、抵抗する彼をすっぽりと腕に収めた。 それはもう、出会ったときのように簡単に収まるような体格ではなかったけれど、なんとか長い腕を利用してたたみ込む。 そのまま、鼻腔をくすぐったシャンプーの香りに誘われるように、髪に口付け。 柔らかな準太の雰囲気に誘われて、利央も微笑んだ。 「もうすぐ、オレ入学だよ、準サン」 「ああ。……また弄り倒してやるから、早く入部してこいよ」 「うん。あと少しだけだから、待っててください」 あと何年、こうして二人で誕生日を祝うだろう。 たとえ、バッテリーではなくなる時がきたとしても。卒業し、先輩後輩でなくなったとしても。 歳をとり、大人になり、成長し、老いたとして。 その時でもどうか二人、傍らにいられますように。 そんな願いを降り止まない雪に祈って、もう一度笑った。 宵闇に、その祈りは優しく溶けて消えてゆく。 一瞬、風に舞うことをやめた雪が、ささやかな二人の祈りを祝福してくれたようだった。 あとがき
準さんのお誕生日お祝いSSでした。
利央中3、準太高1の設定。 空白の一年間に彼らがどうやって過ごしていたのか、とても気になります。 でもまあ、祝われてますよね、きっと。 とにかく、お誕生日おめでとう!準さん! 君が幸せでありますように。 2008/02/02 |