01: りおうくん
めちゃくちゃ遠縁にあたるという親戚から、今年4歳になるちっこいガキがやってくるらしい。
正直、弟ですら持て余すくらいの俺は気が重い。 「準太、ほらそっち片付けて!!」 お迎え当日、花の休日らしく遅く起きてきた俺の姿を見るなり、母親が怒鳴り込んだ。 実の息子に「おはよう」すら言えない母親が、これから来る他人の子供を可愛がれるのだろうか。 ……正直、かなり怪しいと思う。 「へいへい」 あくびをしながら、それでも適当にその辺に散らかっている雑誌を手に取った。 父親は今頃、空港に着いたそのガキと対面している頃だろう。 向こうの家の事情で兄と別々の親戚に預けられることになったガキんちょは、きっとびーびー泣いているに違いない。 そんな子供の相手をするのか、と思うと途方もない虚無感に襲われた。 大学生にもなって、それくらい我慢しようと思うのだが、どうも子供の相手は苦手だ。 もともと無愛想で口下手な部分もあるし、なにより大抵の子供は何故か俺の顔を見て逃げていく。 そんな話をそのガキが来ると聞かされた際にすれば、弟は「アニキ、笑わねーもん」と鼻で笑った。 ふざけんなよ。 何が悲しくて、ガキ相手に愛想をしなければならないんだ。 ああ、本当に憂鬱というしかない。 「うん、まぁいいでしょ!あら。もう時間無いじゃない!急いでケーキ買いに行かなきゃ」 普段とは比べ物にならないくらい片付いたリビングを見渡して、母親が頷いた。 そしてそのまま、財布を持って慌てて玄関へ駆け寄る。 「準太、あとお願いね」 廊下の向こうから聞こえてくる声に返事をすると、じきに扉の閉まる音がした。 部活動に出かけている弟もいないから、途端に家の中は静かになる。 「あー、まだ眠みぃ…」 休日のテレビ、とりわけ午前中は料理番組だの通信販売だのでろくなものがない。 何度押し殺しても溢れるあくびに準太が抵抗していたとき、玄関の開く音と共に父親の声が響いた。 「げ。もう来やがった」 ソファに身を沈めていた俺は慌ててその身を起こす。 高校時代、野球で培ってきた腹筋はまだまだ健在で、いまだ軽い体はひらりとそれを受け入れた。 「じゅんた、かあさん!連れてきたぞー」 「親父、今母さん買い物行って……」 玄関から真っ直ぐに伸びる廊下に、リビングから出て父親に声を掛ける。 だが、その腕に抱かれた子供を見て俺は固まった。 は?何こいつ、外人がくるなんて聞いてねーよ!! 父親のチェック柄のシャツを握り締めた指は白く小さく、子供らしく大きな頭はふわふわの色素の薄い髪で覆われている。 ちらりとかち合った視線は弱々しくて、何よりその瞳の色が印象的だった。 淡いグリーンの混ざったような蜂蜜色。 開けられたままのドアから漏れる光に当たって、それは時折色を変える。 「え、そうなのか。でもすぐ戻るだろ?」 「えっ、ああ、多分」 呆気に取られている俺に気づかないのか、俺の視線を外した親父は、その腕の中の存在ににこりと笑いかけた。 母親と違って、目の前の男は子供受けがいい。流石は五人兄弟の長子だと思わせる柔和さだった。 「ほら、利央くん。準太おにいちゃんだよ」 「じゅん、ちゃー?」 舌足らずな話し方に胸が高鳴った。 大きなその瞳は瞬きを繰り返しながら、興味深そうにこちらを凝視している。 「ほら、準太。あいさつ」 戸惑う自分を無視して、親父はあろう事かその子供を俺に抱かせようと差し出してきた。 いや、ちょ…待て待て待て、待ってくれ!! 「よ、よろしく……な?」 「じゅん ちゃん!」 この日初めて、俺は子供相手に愛想笑いをした。 慣れていないはずのそれは酷く歪んだものだったに違いないのに、 恐々と抱いたそいつ――りおうは、ぎゅうと俺にしがみついたまま無邪気に微笑んだ。 ……ヤバイな。 今までの子供嫌いは一体なんだったのか。 太陽のにおいのするりおうを抱いて、俺はもう一度笑う。 今度は不器用な愛想笑いではなく、まるで友人に見せるような自然なそれだった。 02: ねがお
利央が父に連れられて家についてから間もなく、大きな包みを抱えた母親が帰ってきた。
「まぁっ、可愛いわねぇ…!!」 俺の傍らで微笑む利央を見た、母の第一声はこれだ。 その大きな感嘆に、一瞬利央は目を見開いて、けれどすぐににこりと笑いかける。 小首を傾げる様が、母の言う通りなんとも小動物のように可愛らしい。 それが利央の容姿のせいなのか、果たして歳が離れすぎている為なのか、弟に抱かなかった感情に俺は戸惑っていた。 「りおう、うちの母親」 「う?」 指差して紹介するが、その反応は薄い。 まるで理解していないようで、俺はどう説明するかと普段あまり使わない頭をひねった。 「あら、そんなコト言っても分かんないわよ。りおう君、私、まりこね」 「まりこ…しゃん」 たどたどしいながら自分の名を口にした利央に、母親は満足そうに笑った。 いい年したオバハンが真理子さんだってぇ? 腹がいてぇ。何考えてんだ、この年増。 そのやり取りが可笑しくて、俺は思わず口元を覆う。 笑い出すと止まらない、俺のよくないクセだ。 「ちょっと、準太!何笑ってんのよ。さっさとケーキ切るの手伝って!」 痙攣する横隔膜を必死に押さえた。 不機嫌になった母親は、そんな俺の頭をいつもの調子でゴンゴン叩く。 その様子を、利央は不思議そうに眺めていた。 「親父、交代。りおう向こういってな」 「ん?ああ、おいで。りおうくん」 俺の太ももに上半身を預けているりおうの体を抱いて、向かいに座る父親に手渡す。 まったく人見知りしない利央の顔が、一瞬だけ淋しげに揺れた気がした。 「でっかい包みだなー。ホールごと買ってきたのかよ」 明らかに、実の息子の自分達の誕生日などより気合が入っている。 愚痴をこぼしながら皿を用意する俺の後ろで、母親は紅茶と利央用にココアを入れ始めた。 「あ。なぁ…、俺ガキんちょが来るとは聞いてたけど、外人がくるなんて聞いてねーんだけど」 重ねた取り皿を手に振り返れば、母親はさも可笑しそうに眉を顰めた。 それはまるきり自分を馬鹿にしている表情で、なんとなく腹が立つ。 「何言ってんの。りおう君日本人よ。ああ、ご両親がそれぞれハーフと日系だけどね」 「は?何だよ、それ」 「アンタ、中学・高校って野球ばっかりで親戚に挨拶もしなかったから知らないわよね。お兄ちゃんのろか君は、それでも見た目かなり日本人よ」 全然しらねぇ…。 何となく面白くなくて、俺は返事をせずにリビングへ戻った。 親父の方をふと見れば、先ほどまできゃっきゃと騒がしかった声が聞こえない。 「親父、りおうは…」 声を掛けると、父親は指を唇の前に立てて静かに、と合図してきた。 不思議に思ってテーブルの上に皿を置いて近づくと、その広い膝の間で体を丸めて利央は動かない。 「なに、こいつ寝たわけ?」 声を潜めた俺に、父親も頷く。 げー。なんかまさに子供って感じだな、オイ。 思わず苦い顔をしたところで、おぼんの上に飲み物を乗せた母親が俺の背後で立ち止まる気配がした。 「あら、どうしたの?」 振り返りながら、父親と二人で静かに!と母親を睨みつける。 いぶかしげにかがんだ俺の肩口から顔を出して、母親はまぁ、と声を上げた。 「……空港、人が多くて疲れちゃったのかしらね」 穏やかそうに微笑んで、和室の方へと母親が背を向ける。 恐らく利央にかけるタオルケットでも取りに行ったのだろう。 それを見送って再び父親の方へ視線を送ると、父親は困ったような視線で俺に助けを求めた。 「準太、悪い!ちょっと変わってくれないか…。父さん、トイレ行きたいんだ」 青い顔をしている。多分、眠った利央を起こすまいと我慢していたのだろう。 軽いため息をつきながら、そっとその柔らかい体を引き受けて、俺は父親と入れ替わった。 眠った子供は意外と重い。 膝の上に乗せるのは得策じゃないと感じて、俺は利央をソファへと寝かせようとその体を持ち上げた。 「やぁだぁ…」 寝ぼけているのか、その変わった色の瞳は閉じられたまま利央は体をよじる。 短く丸みのある指は、俺のパーカーを掴んで離さない。 おい、冗談じゃねーぞ。確実に足が痺れる。 相手が子供だということも忘れて、俺はこいつを無理やり引き剥がそうと力を入れる。 けれど、その顔をふと目にしてしまって、すぐにそれを抑えた。 なんという安らかな寝顔。 無防備すぎるほど指先以外が弛緩した利央の体は、湯たんぽのように温かい。 弱々しい小さな指先を、それ以上解く気にはなれなくて、俺はため息と共にそれを諦める。 もういいや、適当にあとで親父と交代すれば。 抱えた頭はふわふわと柔らかく。 俺の胸に頬をこすり付ける利央は、この上なく幸せそうだった。 03: ぱわふる
利央が我が家の家族に加わって、早3日目。
……初日、こいつなら大丈夫だと思った自分を、今は力いっぱい責めたい。 やっぱり自分は子供好きにはなれないと、改めて思う。 何でかって? よく寝る・よく食う・よく遊ぶ。 母親いわく子供の三原則だそうだが、俺にはこの3つめがどうしても許せない。 大人しく寝ている利央はそりゃ可愛かった。 日本人離れしている辺りが、どれだけ眺めていても飽きない。 頬や口元にスパゲティミートソースをつけながら、小さい手が不器用に子供用フォークを操る姿も微笑ましかった。 もちろん、その手に触られるのは勘弁だが、片付けるのも俺じゃなくって母親だし。 けれど、起きた直後から家中ドタドタと駆け回られるのだけは堪らない。 昼夜を問わず、じゅんちゃん・ともくん。 弟と俺の名前の大連呼。 共働きの両親は、春休みだという俺と弟の智也に任せて昨日から悠々自適に仕事へと向かった。 まぁ母親はあと数日で昼間だけのパートタイムへと変わるけど。 幼稚園が始まったら、毎日利央を迎えに行かなきゃならないから。 最初は子供好きの本能を発揮していた弟でさえ、昨日辺りから時折困ったように自室へ逃げ込むようになった。 オイコラてめー、「どうせアニキには無理だから、俺にまかしてよ」なんて言ったのはどこのどいつだ。 「ともくん、あそぼー!!」 実家から持ってきた車のおもちゃを片手に、弟の方へ走り寄って行った利央を弟は苦い顔で受け止める。 「ごめーん、りおう。俺、今日部活なんだよー」 中腰にかがんだ弟は利央の柔らかな頭を撫でてやって、わざとらしく俺に視線を送ってくる。 …この野郎。俺だって大学のサークル活動休んでんだからな!! 「…じゅんちゃーん!!」 弟に背を押された利央が、くるりと方向転換した。 その隙を狙って、弟はそそくさとリビングを後にする。 「アニキ、ワリ。頑張れ!」 顔の前に謝りマークを作って、練習着を来た弟はさっさと出かけてしまった。 仕方なく、俺はカーペットの上に腰を下ろして利央を膝の中に呼び込む。 「とらっくぶーぶー。でんしゃががしゃーん」 「違う、りおう。それはバイク」 「そーなの?」 「そうなの」 機嫌よく玩具を操る利央の姿に、それでも付き合う自分を褒めたい。 まぁ、幸いにも利央は子供にありがちな癇癪を起こさないタイプだからだと思うけど。 「じゅんちゃ、じゅんちゃん…」 ここ3日休むことなくパワフルな利央に付き合っているせいで、疲れた様子の俺を利央が見上げてきた。 なんだよ、と頭に手を置いて聞いてやる。 このクセっ毛の頭だけは何度触っても気持ちいいよな、と思いながら。 「りおうねぇ、じゅんちゃんすき」 ……はい? 俺の顔は間抜けにも半口開きになった。 突拍子もなく呟かれた言葉に、頭が対応しない。 利央は何も分かっていない様子で、ただじぃっと俺を見つめている。 「じゅんちゃん、やさしいもん」 あー…、なんて言うんだろう、これ。 馬鹿っつーか、アホっつーか。 子供って単純すぎるよなぁ。 よく母親が「お疲れ様」って言われると逆に疲れが飛ぶって言うけど、それとよく似てる。 ああ、もう。 利央の一言で、さっきまで腹の底で淀んでいたイライラはすっ飛んでいて、肩からすうっと力が抜ける。 すげーいい気持ちのまま、こちらを見上げる利央に得意げに笑ってやった。 「いい兄ちゃんだろ?俺は」 「うん!」 ……即答かよ。 もう言い訳の仕様もない、これは。 子供の無邪気さに完敗したまま、俺は膝もとの利央を抱き寄せた。 何も知らない利央は、その両手の中できゃあきゃあ笑う。 ――照れて赤い顔を隠した、俺の苦し紛れの行為なのに。 04: やくそく
寝苦しい。
6月も半ばに入った、晴れた日の夜、俺は何ともなしに寝返りをうって浅い眠りから目覚めた。 先日あたりから急上昇した気温と、梅雨特有の湿度のせいで不快指数は高い。 カーテンの隙間から漏れてくる月明かりに目を細めて、ため息と共に起き上がる。 「眠れねー……」 時刻を確認すれば、午前二時。 まさに、草木も眠る丑三つ時と言ったところだろう。 明日は一限目から授業がある。さっさと眠りたいが、生憎完全に目が覚めてしまった。 仕方なく、俺は水でも飲んでくるかと部屋を出た。 真夜中の家は静まり返って、何の気配も感じない。 けれど、階段を下りて右手を見た瞬間、俺は固まった。 キッチンからほのかに明かりが漏れている。 誰か起きているのか、それとも単なる消し忘れか……。 どっちにしろそんなに緊張することじゃない。さっきは驚いて足を止めてしまったが、俺はそのままドアをガチャリと向こう側へ押しやった。 「あ? なんだよ、誰もいねーのか」 明かりが点けられている以外、誰の姿も見えない。 拍子抜けしながら蛇口をひねって、目的を成し遂げた俺はそのまま2階へ戻ろうとした。 その時。 かすかに、自分以外の誰かの気配がした。 衣擦れの音、わずかに漏れる呼吸音。 それは小さな、子供のもので。 ああ、それなら今我が家にいるのはあいつだけだ。 「りおう?」 呼びかけに返事はない。だけど、キッチンとリビングの境目、丁度影が差すテーブルの辺りで、動いたちいさな体。 アレでほんとに、隠れてるつもりなのかね。 みえみえだぞ、と苦笑してもう一度あいつを呼ぶ。 「りおう、どうした。寝れねーの?」 「……じゅ ん、ちゃ」 声が…! 返された声は震えている。 何があったのかと慌てて駆け寄れば、小さな体をさらに縮めて利央は泣いていた。 「りおう、なんだよ。何で泣いてんだよ」 隠れるようにして泣く、そんな利央の様子はこいつが家に来て三ヶ月、始めて見る。 弟と喧嘩したり、拗ねたりして泣いたのとは明らかに違うと悟って、俺は慌てた。 「なぁ、どうした。智也は? 黙って部屋出てきたのか? てか、あいつ寝てんの?」 思わず口早に質問が飛ぶ。 利央は弟の部屋にベッドを貰っていた。二段ベッド。 元々俺たち兄弟が使っていたものを数年ぶりに物置から引っ張り出して、父親が組み立てなおしたのだ。 利央を可愛がっている弟がここにいないということは、あいつは利央が部屋を抜け出したのにも気づかず一人のんきに眠っているのだろう。 あのアホ。最悪だぞ。 「じゅんちゃん…。じゅんちゃ」 俺の姿を見て涙腺が緩んだのか、まるで何かに耐えるようにこわばっていた利央の体から力が抜けた。 ぐちゃぐちゃの顔で俺を呼んで、寝巻きの裾をぎゅっと掴む。 「りおう、どうした? 言わなきゃわかんないぞ」 すがり付いてきた子供をひょいと抱きかかえて、俺はリビングのソファへと移動した。 嗚咽を繰り返す背中を、何度も撫でてやる。 三ヶ月前の自分からは想像できない、そんな姿だ。 子供をあやす方法なんて何一つ知らなかったけれど、どうやら利央は俺に抱かれるのが好きらしい。 だから、困ったときにはすぐにそれを実行することにしている。 案の定、暫くそのままあやしてやると、利央の泣き声が小さくなっていった。 鼻をすする音に、テーブルに置いてあるティッシュを手に取る。 「ほら、ちーん。そんで? 結局なんで泣いてるんだ?」 大人しくなった利央に、もう一度尋ねてみる。 すると、利央からは意外な返事が返ってきた。 「にいちゃ…、思い出したの」 「兄ちゃん? あっ、ろか?」 俺は会ったこともないけれど、確かそんな名前だった。 俺や弟のことをけっして「おにいちゃん」と呼ばない利央が指し示すのは、彼しかいまい。 小学校2年生。ここから遠く離れた京都の親戚に預けられているはずだ。 「にいちゃ…、あいたいよう。おかあさん、おとうさん…」 泣きながら紡がれる、今はバラバラになっている家族の名前。 胸につんとこみ上げてくるものがあって、俺は利央を強く抱いた。 普段、利央は全然そんなことを言わないし、忘れたみたいにこの家に溶け込んでいる。 だから俺すら忘れてた。こいつが…、こいつだけがこの家じゃ他人なんだってこと。 「りおう、気づいてやれなくって…ごめんな」 こんなに必死で隠していたのだ。まだ小さいんだから、家族に会いたくて当然じゃないか。 それを自分達に気を使い、こんな所で人知れず泣いているなんて。 もしかしたら、自分達が気づいてなかっただけで、毎晩こんな風に一人で泣いていたのかと、俺は切なくなる。 「りおう、ごめん。淋しかったよな…?」 「じゃんちゃ…、ごめ なさい。り、おうめいわくばっか り」 「迷惑じゃねーよ、全然迷惑じゃない!」 どうしてこんなに、利央は人に優しいんだろう。 弱さを見せることが、迷惑だなんて。甘えることが、迷惑だなんて。 まだ3歳なのに。 「りおう、お日様が昇ったら、兄ちゃんに電話しような? 今はまだ、みんなおやすみなさいの時間だから」 「うん。ごめんなさい、じゅんちゃん…」 下を向いた利央に、俺は精一杯の笑顔で答える。 「りおう、ごめんなさいじゃない。俺にはこれから、ありがとうって言え」 「ありがとお…?」 「そ。あのな、悲しいときは、一人で泣いたら駄目だ。必ず母さんか父さんか智也か…、出来れば俺に教えろ。お前の悲しいを、半分こしてやるから」 自分には似つかわしくない、優しい言葉。 この穏やかな気持ちは、利央がプレゼントしてくれたことだ。 だから、ちょっとでもこいつに返してやりたい。 俺に出来るコトなんてないかもしれない。少なくとも、兄貴に会わせてやることは出来ない。 だからせめて、その悲しいを紛らわせられるように……。 「約束だ」 「やくそく…? じゃあ、じゅんちゃんも!」 「は?」 「じゅんちゃんも、かなしいがあったらりおうにいって。りおう、じゅんちゃんにぎゅー、してもらうとかなしくなくなるの。だからりおう、じゅんちゃんにもぎゅーってしてあげる」 何でだよ、くそ。 せっかくかっこいいこと言ったと思ったのに。 いつもいつも、最終勝者は利央だ。 夜を照らす太陽がここにある。 「わかった。じゃ、約束、な?」 「うんっ!りおう、じゅんちゃんとやくそくする!」 暖かな笑顔に、俺はもう一度笑った。 ほんと、連戦連敗。情けねぇ! 05: よるのみち
気持ちいいな。
繁華街のカラオケボックスの一室。大音量で流行のメロディが流れ出す。 ほろ酔い気分のまま、胸に響くその音を俺は受け入れていた。 安っぽいソファは、ガンガンに効いた冷房のおかげで冷たくて気持ちいい。 体をそれにもたれかけさせながら、俺は渡されたマイクを手に取った。 大学のサークル飲み会。 利央が春にやってきてからこっち、ろくに顔も出さなかった。 それなりに居心地の良いサークルだったから、辞める気なんて元々なかったけれど。 久しぶりに顔を出して飲み会に連れられて。 やっぱり楽しかった。 「おーっ、準太酔ってんなぁ!」 自分と同じように顔を赤らめた隣の同級生が絡んできた。 理系大学だから元々女っ気は少ないけれど、こうも男ばかりだと華がないかもしれない。 「うっせー。お前だって酒くせーっての!」 そうかぁ、と頷いた同級はもう意識も危うい。ぐらぐらと体を揺らせながらさらに絡んでくる。 「そーいや、預かってるガキんちょ、どうなった?」 「りおう? いや、普通」 「なぁんだよ、お前ガキ嫌いだって、散々愚痴ってただろぉ」 アルコール臭のキツイ口元が肩口に近づいてきた。 それを手で押し返しながら、俺は顔を反らす。 「嫌いっつーか、苦手っつーか。ガキってすぐ泣くし、わけわかんねーって思ってたから」 「だよなぁ、汚ねーし、うるせーし。あー、オレ一人でよかった」 その言葉に、むっとした。 ただの軽口なのに、何故か酷く不快だ。眉をしかめて黙り込めば、聞き耳を立てていた周りのメンバーも次々に口を出す。 「あー、わかる! オレもすげー年下の従弟いるんだけどさ、ホントうるせーの。周りはガキの味方だしよ」 「やっぱ? 天使の寝顔ーとかさ。起きりゃ悪魔だっつーのな」 ぎゃはは、と笑う友人。飲み会のいつもの光景。 普通なら俺もそこに混ざる。どうでもいい軽口を叩きながら、酒の力を借りて、どうでもいいことで笑う。 けれど、今日は心の底から不快だった。 腹の中でなんだかぐるぐるした気持ちが、今にも喉をぶち破りそうだ。 それを堪える為に、俺は唇を噛み締め、下を向いた。 「ほんっと、災難だなー、準太!」 「準太君、かあいそぉ!」 ぶち、と頭のどこかで血管が切れる音がした。 マジでムカつく!最悪だ! メンバーが皆深酒をしているのは分かってる。素面ならいい奴らだって、それも知ってる。 けれど、俺だって酒が入ってるんだ。 冷静さなんかかけらもねーよ!! 「うるせぇ!」 気が付いたら手に持っていたジョッキグラスをテーブルに打ち付けて、俺は大声を出していた。 ぐわんぐわんと鳴ったガラスが、余韻を残してまだかすかに振動している。 「……俺、帰るから。じゃーな!」 不機嫌露わに席を立った俺を、追いかける奴はいない。 皆唖然として、ただその光景を見過ごしていた。 *** 街灯もまばらな住宅街。自宅へと向かう足が幾分ふらついていた。 頭も痛い。久しぶりだからといって、少々飲みすぎたらしい。 それでも、いつもならハイテンションのまま足取りも軽く帰路についているはずだ。 こんなにも嫌な気分なのは、やはり話題が話題だったからだろう。 今思い出しても、本当にイライラする。 汚ねーって、うるせーって、そりゃお前らのほうじゃねーか。 あいつらが話題に出したのはあくまでもガキの全体像だ。 だけどまるで……。 ――利央のことを、言われているみたいだった。 そう感じたら、途端に胸が苦しくなった。 あいつは確かにうるせーし、めんどくせーし…、でも。 それ以上に、大切に感じる心がある。 だから、俺は可哀想なんかじゃない。災難だなんて思ってない。 それ以上に、あいつに出会えて幸せだと思ってる。 だから嫌だった。我慢できずに飛び出すくらい。 「なんだよ、俺、いつの間にそんなにりおうのこと…」 顔を覆った手が熱い。 ああ、どうしてこんな気持ちになるんだろう。 利央はモノなんかじゃないのに。手放したく、ないなんて。 「じゅんちゃん!」 思いを巡らしているその只中、聞きなれた声がして思わず俺は顔を上げた。 「りおう。智也…?」 暗闇の中、飛ぶように走ってくる二人の姿を見て、俺は驚く。 もう夜もかなり遅い時間だ。弟の智也はともかく、利央なんかはとっくに寝ていて可笑しくはない。 「もーっ!アニキおっせーよ!」 「はぁ? 飲み会だっつっただろが」 息を切らせた弟が、利央の手を引いて俺の前で止まった。 駆け寄ってきた利央はしっかりと俺の足にひっついて、離れようとしない。 「りおうがさぁ、じゅんちゃんがいない・じゅんちゃんがいないって、ちっとも寝よーとしねーんだもん」 ぽかんと口を開けたまま利央を見下ろせば、潤んだ大きな瞳が自分を見つめている。 思わず腰を落として、俺は利央の頭を撫でた。 「なんだよ、眠たいだろ。りおう」 相変わらず、足は離してくれない。額をジーンズにくっつけて、ぶるぶると首を振る。 弟と二人、顔を見合わせながら、俺たちは同時にため息をついた。 「……ほら、帰るぞ」 利央をいつもの調子でそっと抱き上げる。 普段軽く抱けるはずのそれは、酒が入っているせいで少しだけよろけそうになった。 「じゅんちゃ、まっかー」 「あー、酒飲んだからな。面白い顔してるだろ?」 うん、と頷いた利央は、俺が口を近づけるといやだ、とそっぽを向いた。 なんだよ、と首を傾げれば、怪しむように目だけでこちらを窺う。 「じゅんちゃ、くちゃい!」 隣で弟が含み笑う気配がする。お前、後で覚えてろよ…。 まぁ、でも酒臭いか。確かに子供が嫌がる匂いだよなぁ、と苦笑いして、利央を抱いていない方の手で口に栓をした。 利央の機嫌ひとつで、こんなにも自分が動かされている。 普段なら絶対に腹持ちならないそれすら、なんだか心地よい。 「悪いな。帰ったらうがいするから」 ぷぅ、と頬を膨らませて首を遠ざけていた利央は、俺の様子にやっといつもどおり俺にもたれ掛かってくる。 やはり眠いのだろう、その目元が酒の入っている自分よりも重そうだ。 「……りおう。お迎え、ありがとな」 今にも眠りに落ちそうな利央の耳元に、そんな言葉を投げかければ、まるで華のように笑った。 俺の好きな、太陽の笑顔。 あー…、やっぱり。 災難でも、可哀想でもねーよ、俺。 |